佐敷町史は、私にとってはバイブルみたいなものである。まだ民俗編しか日の目をみてないが、一日も早く全巻の刊行を待つものである。
こういう類の本は、ややもすると執筆者のマスタベーションで終始しがちだが、佐敷町史に関しては、読み手に最大限の気を配ってあるふしが随所にみられる。とりわけ、写真・図版をふんだんに用いてあることは、読み手の理解を早め、また興昧も培加させる。
私は、佐敷町の事象を見て30有余年になる。その大半のおよそ20年間は、アメリカに併呑されることをおそれた時の権力者が、日の丸掲揚に象徴されるように日本人づくりに血眼になっていた時代である。そういう時代には、神社は教えられても御嶽のことは教えられなかった。まさしく郷士文化をないがしろにして祖国復帰は勝ちとった。
私は、奥歯に物がはさまった感じで日本人になったわけであるが、うずく血潮はどうにもならずに、雑草が舗装されたアスファルト道路をつき破るがごとく、謀反をおこした。あとの10年間は、郷土関係図書を読みあさった。
それの延長線として佐敷町史は私と対峙する。苗から成長した木ではないと私のことをよく知っている佐敷町史。
空白の20年間の追体験を佐敷町史に求めながら、接木の役目をやっておくれと佐敷町史に哀願する毎日である。(津波古珍立)