本来のウチナーグチが開かれなくなったという声をよく耳にする。
世代が変わりゆく時期でもあり、また、さまざまな世変りの影響もあるのであろう、確にその感はぬぐえない。学者先生方からも言語学的に貴重とされるウチナーグチがおとろえていってしまうことは淋しい気がする。それよりも、沖縄の心、生活が反映する響いてくる言葉が失なわれてゆくということは、何やらやるせない。
四、五年前に、長女夫婦がハワイに居住していることもあり、孫の顔を見るついでに観光旅行をしたことがある。老妻と在布哇ウチナーンチュによる歓迎パーティーに招待された。歓迎してもらえるだけで感激なのに、パーティーまでといたく恐縮してしまった。
さらに、その席で大感激したことは、18で渡布し、そのとき85歳になるという老女との出会いである。ちょっと遅れて来た老女に、「どうぞ、おあがりください」と会食をすすめたら、とたんに「ナマルクワテチャル(いますませて来たところです)」さらに「イッタークェーワ(あんたたちあがりなさい)」と続けたのである。沖縄では、戦後絶えて久しく聞かない死語になったことばだ。
老女のそのことばに、〈ここは沖縄か、ほんとうにハワイなのであろうか〉と思ってしまった。アルコールが入っていたせいもあり以降、老女と会話を続けていたら頭の中がこんがらがってしまった。
幼いころ、古きよき時代の沖縄を思わず思い浮かべていた。
本来のウチナーグチは、海外にしかないのか。お国ことば、大切にしたい。郷土の心を伝えるためにも……。(平良亀順)