なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

読者から

「余興余談」
披露宴の余興には何度か出ている。
「戻リ籠」ばかり三度つづけてやったこともある。その内の一度は、新郎新婦と私は一面識もない披露宴であった。
新郎の友人が私の同僚だったので、急拠「戻り籠」の指導(?)かたがた出演を依頼されたというわけである。
当日、ご祝儀を出したものかどうか彼に伺いをたてると、 「気を遣うな」との返事。私は招待客ヨロシク、麦酒を飲み、食事をした。 「戻り籠」をやったのはいうまでもない。帰りには引出物を貰った。彼としては、出演料のつもりだったのだろう。
「闘牛」「エイサー」と、古典的演目にも精進した。が、昨年秋には「一献酒」舞台上、一列横隊になり、歌の合間に酒を飲むだけという安易なものである。浮世の義理で出るには出るが、少しでも楽をしたいという連中には最適の「芸」だ。以後、宴へのお呼びがない。
最後に、私の選ぶ余興五番。「エイサー」「闘牛」そして「戻り籠」。残りは…皆さんにお願い。(渡名喜元嗣)

「祖父馬鹿の見本」
日めくりの暦に、家族や孫などの誕生日と、祖先の命日を書き入れる。新年の松の内の仕事である。誕生日は赤インクで入れ、命日は黒インク。
その当日、故人はその冥福を祈り、誕生日は家族そろって子や孫たちの幸せをお願いする。誕生日や命日といっても、別にお供え物をつくるでもなく私の晩酌のお初を供えて線香をあげるだけのこと。
初めのころは、何も知らない幼い孫たちは、私の仕草にならって意味もわからないままに、もみじのような小さな手をあわせていた。老妻が、蚊取り線香をつければ、立ちのぼるその煙にまで手を合せる。孫たちの仕草に、家中が大笑いしたこともあった。
その孫たちも、今は、小学生、中学生、高校生と成長した。誕生日のほかに、運動会、ピクニックやその他の行事の際には、小遣い銭をあげなければならない。高校生ともなると、ちょっと奮発しなければならないので、老齢年金で生活する身には少しばかり痛い。
だが、老齢の私には、これといった、出費もなくうまくしたものである。日日成長する孫たちがいる幸せ代なのかもしれない。祖父馬鹿になって、けっこう老後を楽しんでいる。   (平良里之子)

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大分類 テキスト
資料コード 008437
内容コード G000000498-0027
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第81号(1984年4月)
ページ 14-15
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1984/04/10
公開日