日本移民の方々は、野菜栽培を始めピメンタ(胡椒)、(麻)の企業化と、近年、お茶、ハッカの輸出にこぎつけているとのことだった。外に柿、りんご、ぶどう、梨、いちじく、筍などが豊富に出回っていた。大豆は一部輸出もされており、根瘤菌接種栽培のため面積に限度があるが将来大きく伸びる作目と思われる。
また、天然資源の宝庫でもあり鉄鉱石を始め、マンガン、ボーキサイト、トリウム、燐鉱石、ニッケル、オイル、シェールも世界有数の埋蔵量らしい。現在石油の自給率はわずか20%でブラジル経済のアキレスケンとなっている。
それを補うため水力発電の開発とマンジョーカ、加えて、糖蜜からアルコールを造って石油の節約に努力している。電力でトロリーバスや地下鉄を動かし、自動車燃料にはアルコール20%混入のアルコンガスを使用しているが、近く22%までアルコールの混入量を増やす予定らしい。
近年は、鉄鉱、冶金の工業化が進み、自動車、農機具、電子電器機械の工業製品が近隣諸国を始め、遠くアフリカヘも輸出されているという。工業製品は大部分外資との技術提携で現地生産されている。
自動車はホルクス・ワーゲンとフォードが7、8割を占め、オートバイはホンダとヤマハだけ、電気製品は殆ど日本製であった。
人種と人口
多民族の混住社会である。原住民インディオの土地に16世紀ポルトガル人による植民地化に端を発し、インディオとの混血、そして砂糖産業の労働力としてアフリカから連れてこられた黒人との混血が元をなし、19世紀に入ってヨーロッパ系、アラブ系、20世紀に日本を始め東洋系が世界各国から移民として渡り、まさに人種の「るつぼ」といわれる今日のブラジル社会を築いている。事実、街角、バスや電車に乗っていると人種の展覧会場に迷い込んだ様な感じで、旅行者には珍しい物の一つだ。皮膚の色で大ざっぱに分けると、白人30%、混血60%、残り10%が黒人と黄色人種の割合になっているとのこと。
「インディオの素顔の親しクワレズマ」
1980年の推定人ロは約1億2千万人でほぼ日本の人ロと同じ、大半が北東から南部地方にかけての海岸地帯に密集していて、国土の大半は1平方㎞1人未満という人ロ密度の低さのため、土地が広広として沖縄から行くと実に気宇壮大になる思いだ。
為替ルート、金融
ドル立である。到着の日3月1日に30%のマクシ切下げ発表があり、それまで一対240CRSが一挙に430CRSになり、闇値は680CRSに暴騰していた。自由な国だけあって、闇値も平行価格といって新聞に毎日発表されていた。それに伴って円も上がり二倍に交換されていた。一万円は二万クルゼイロスになるので旅行者にとっては好都合だったが、インフレが一段と促進されて生活を圧迫していると連日報道されていた。
聖市やリオではドルも円も通用し、商社やお土産品店ではむしろ歓迎してくれるので、ドル、円を支払うと余分に割引してくれるから買物は便利で楽しいものの一つだった。