今回も前号に引き続き、字伊原の方々のご登場。
戦後の米軍放出物資の無償配給時代。各字の配給所には、飢えた人々が食糧の受給に、何はさておきわれ先にとかけつける。配給所の前は、毎日朝から長蛇の列。
屋比久配給所で押し合いへし合いする中、係が「今から名前を呼びますから、その順に並んでください」と。大声で続けて、渡名喜元完(グヮングヮン)、仲村渠常金(雑巾)、山入端嘉行(カコウ=ぼろ切れ)と名前を呼び上げた。思わずドッと来た。よくもこんなに珍名が相次いで並んだものだ。
次に、字屋比久。平良報元(砲丸)。大田蒲福(蒲鉾)。永年教職に在った方で皆さんご存知の新垣太吉。六十歳以上の町民の方ならば、小学校時代に愛の教鞭でたたかれた思い出をお持ちの方も多数居られるはず。体は小さく小吉だが、声はタイキチで大きく「ココノツ、クンジョウ、タイキチ先生」のニックネームで怖がられた。
教職を退いてからは角がとれて世間並の好々爺で、多くの教え子から「師父」と仰がれ尊敬された方である。「タイキチ」は、結婚披露宴向きでめでたい名前だった。
外間区には、仲座無患(患い無し)との前代未聞の珍しい名前の方も居られた。
では、しんがりの字仲伊保。なんと知念助平。出稼ぎ先の日本本土で「スケベー」「スケベーさん」と同僚からひやかされて閉ロしたとか。また、洋服をつけても小波津和福(和服)。刑務官の官服姿でも当真嗣福(私服)とはこれ如何に。関係者の方々にご迷惑をおかけしたと存じますが、ご免ください。暴言多謝。(平良亀順)