なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

俳句つれづれ草 思い出の旧正月

昔は新暦による正月を「やまと正月」旧暦の正月を「うちなあ正月」と呼んでいた。
「もう幾つ寝るとお正月」と指折り数えて、お正月を待つ子供達の表情は大層明るかった。
新正月には学校で儀式があって「年の初のめでたさ」を歌わされた。しかし御馳走もなく、きれいな着物を着せてもらえるわけでもないので何がめでたいのか分からなかった。それに比べて旧正月は、数日前から正月用品の買物で楽しかった。特別に正月晴着と正月下駄を買ってもらえたからである。父母はお米やソーメン・種油・昆布・線香・お碗などを買い込んだ。大晦日(みそか)は家屋敷の大掃除をすまして、足てびちやソーキ汁で年の夜の暖をとった。日ごろはめったに味わえない御馳走である。
元旦は未明に字の共同樋川(ひじゃー)から若水をくんで親戚に配り、5厘や1銭のお年玉をもらった。
さらに近くの杜から松竹をとって門(かど)松を飾りつけた。父母は忙しそうに仏壇と火の神と海の彼方の理想郷(ニライカナイ)に、御馳走を盛りつけたお重箱と白米、昆布、木炭、九年母などを備えて家族の健康と海運を祈り、親類縁者の来訪を待った。

火の神に貌(かお)深ぶかと初御願(はちうぐゎん)
子供らが下校すると、父は子孫を従えて門中の家々を年賀まわりした。子供らは新調の着物と下駄ではしゃぎ廻り、御馳走を頬ばり、めでたい気分に浸った。
当時は、現代のように派手な遊びはなかったが、鞠(まり)つきや独楽(こま)廻し、カルタ遊び、チャンクルー、竹馬勝負、凧(たこ)あげなどが流行っていて、子供らの心は豊かであった。
あれから早や50年が経ってしまった。共に遊んだ幼な友達のカナー、カマー、カミー、ウシー達が戦争で亡くなった今、遠い昔の旧正月のことが懐かしく思い出されてくるのである。

目(ま)な裏(うら)に若き日のありお正月  (山城青尚)

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大分類 テキスト
資料コード 008436
内容コード G000000497-0027
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第80号(1984年1月)
ページ 15
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1984/01/10
公開日