「米1升が10銭。見習いの私の手間賃は20銭。3年間ぐらいは屋根に登ぼらせてもらえなかったですよ。石ウスで毎日毎日、石灰をつぶす仕事だけでした」
太田永一さんは修業時代をこのように語ってくれました。
沖縄の代表的な風物でもある赤瓦屋根をつくる際になくてはならない職人さんが太田さんです。ムチゼーク(しっくい工)として50年余を過して来られた太田さんは、つい最近も壼屋の、のぼり窯の屋根工事をしたばかりとのこと。
「台風にも耐える屋根をつくることは勿論ですが、郷土の風景をつくるという意識もあります。沖縄に実に合っているんですね。赤瓦は…。気候風土にピッタリだと思うんですが、最近は少なくなってますね。さびしいです」
太田さんたちムチゼークにとっての腕のふるいどころはもう1つあります。屋根のシーサーです。
これまで数多くの屋根を仕上げて来た太田さんですから、つくったシーサーも数知れずといいます。
「シーサーの作り方、デザインは先輩は教えてくれません。見よう見真似、後は独創です。石灰とワラだけでつくります」
仕事に誇りを持つ職人さんの意気が感じられる太田さんでした。