なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

語らいは食事と共に  厚生省那覇検疫所長 苗村利康 

生活の基本条件は、食べる、ねむる、おしっこ・うんこ(排泄)だといえる。
「生きる」ために食べるのか、「食べる」ために生きるのか、と問われたこともある。
戦争を経験した人達は、今の、食生活の豊かさが、「これで、いいのだろうか」と思う。
豊かさに馴れた人達は、食べ残しは当然だと思い、「かっこ良く、残しているでしょ」という。
食品の種類が多くなり、手間のはぶけるインスタントものが出廻り、人々の食生活は、便利で、簡単で、好みのものが中心となる。
ここで考えよう。
お膳の上に並べられた料理は、見るためのものもあり、食べるものもある。
食べたものは、消化されて、必要な栄養素が吸収されたとき身につく、といえる。
食べ残しは、栄養とは関係なく、食中毒を起こして、下痢嘔吐があれば、害があっても益はない。
食べたものが全て、消化され、吸収されるのではなく、消化不良のもの、吸収不良のものは、「おしっこ・うんこ」となって排泄される。排泄されたものは、栄養とは関係ない。
人間にとって必要な栄養素は、蛋白質・脂肪・含水炭素・ミネラル・ビタミンなど、と説かれる。
だが、毎日の食事を、栄養素を考え、カロリーを計算して食べることは、病人ならば、しかたがないと言えるかもしれないが、普通の人は、考えるだけで、うんざりする。
私達の日常生活では、「今夜のおかずは、何にしようか」と考える。
毎日の献立を、どうするのか、私は、次のように説明している。
根(大根・人参・ゴボウなど)茎・葉(ナッパなどの野菜すべて)実(くだもの・トマト・ピーマンなど)その中でも、色の濃い食品(トマト・なす・かぼちゃなど)には、ミネラル・ビタミンが多く含まれているので献立に加え、更に、山の幸(きのこなど)海の幸(魚・貝類・コンブなど)陸の幸(牛肉・豚肉・鶏肉など)を加える。
それらの食品の中で、野菜果物は、「しゅん」のものを中心に、海の幸は、「しゅん」の魚などを中心に、片寄ることなく、すべての食品を加えて献立を立て、調整するときには、「塩」を少なくおいしく仕上げるように、と。
味付の好みは、食べ馴れた料理から始まる。離乳食を与えるとき、先づ、ひとくち、与える人が味わって、それから乳幼児に与える。
その味つけは、与える人によってきめられる、といえる。
人々の「好み」は、成長発育と共に変わり、思春期を迎える頃、「こども」の好みから、「おとな」の好みへと移る。
親は、自分の子供は、幾つになっても「こども」と思っているが、「こども」は「おとな」へと成長する。その移り変わりが、食事の「好み」の変化で知ることができる。
家庭生活の楽しみは、親と子の語らいから始まる、といえる。そして、「こども」の成長は、「食べさせる」ことから始まる。食卓を囲み、食事を共にし、「こども」の好みの変化を捉らえ、「こども」の成長と共に、親が、「こども」を見る目も変わってゆかねばならない。
「こども」は、いつまでも「こども」ではない。「子ども」は「おとな」へと変わってゆく。
「こども」の変化を観察する、それは、「語らい」から始まる、といえるのではないでしょうか。

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大分類 テキスト
資料コード 008436
内容コード G000000497-0010
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第80号(1984年1月)
ページ 6-7
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1984/01/10
公開日