あらたまの古き泡盛まはし酌む
沖縄の言葉や風習には、日本列島の一地方のものとして独特なものとして、古来から残されている。それに中国その他の外国の文物も消化し取り入れている。佐敷町では、土帝君が農神として移祀され、石敢当は全県にひろく活用されている。
石敢当の文字のやはらぐ盆の月囀りや梢明けそむ土帝君
中国から、パーランクーや空手の諸手の名称等が来た。だが文法や言葉の本体はヤマトグチの一地方語である。
正月から12月の行事にはヤマトを含めて中国の影響を受けていることは我々のよく知っていることである。その他の事でヤマトと対照的なものを見よう。塞(さえ)の神(道祖神)に沖縄のシーヌカミがあり、春のことをハルのシチという。山帰来(さんきらい)のことを向うでも沖縄でもカカラの方言名がある。
山帰来(かから)咲く主墳のわきの幼な墓
野菊はヌヂク、根蒜(ひる)はニーヒラ、コウブシはヤマトでも「こうぶし」である。動物では近年まで比謝川にオシドリが渡来した。古琉歌「天川(あまかー)」に、クシドゥイと歌われて居り、子ビものころ川で採った手長蝦(たなげー)もそのまま。ガサミ、トーイユー、クーイユもヤマトグチそのまま。
束ねらる市場のがさみ眼を立つる 麝香鼠土間に棲みつき明け易し
麝香鼠(じゃこうねずみ)をジャカーといい、ウシは牛、馬はウマ、カナブーブーは「かなぶん」。こうしてみると、その昔、「方言礼」で方言取りしまりをした皇民教化とこれに利用され、地方文化を軽視した教育が、おそろしく、また、馬鹿げたものだったことを感ずる。我々は古里の良さと尊い文物に誇りを持つよう、知り、伝える必要があるのではないか。
芭蕉布の手を振り有権者たる証し
蛙とんで御穂田の水は尽くるなし(瀬底月城)