ウミンチュ(海人)の顔とはこういうものか、と思わされる呈しい風貌。しかし、その目はなんともやさしい。
屋比久孟賢氏は、根っからのウミンチュ。3、4歳のころから海に出たといいます。おじいさん、お父さんは山原船を持ち、氏もその影響を大いに受けました。
「もの心ついたときには、船に乗っていました。ごく自然に自分は海で生きるんだということになっていました」
40年余のウミンチュ一筋の生活。潮風と太陽に鍛えられた健康的な肌色の氏には、中城湾が自分の庭のようになっているはず。おかを歩くように海が歩けます、という表現を使っていた氏です。
そんな氏にも恐ろしい経験があります。網を上げに行く途中、台風の影響で船が転覆し浜まで泳いで帰ったことです。そんな経験も氏の生き方を変えることはありませんでした。
「家族8名を養うわけですからナニクソでやらなくては……。最近は海が汚されていくのが気になりますが、みんなで何とかして守らなければいけません。組合の話しも具体的になって来ましたし」
息子さんも、漁に一緒に出ていると語る氏の表情は満足気でした。