「あなたは今、だれと暮らしていますか」
「あなたは今、どこに住んでいますか」
そして、
「これから、どんな生活を、考えていますか」
或る人は、「家族5人で、今後も、沖縄で一緒に暮らしたい。他所へ行く気はない」と。
或る人は、「今から勉強して、是非とも本土で仕事をしたい」と。
そして或る人は、「あちらこちらと、生活したが、やはり、自分の生まれた土地が良い」と。
沖縄の生活は復帰と共に、人の交流が盛んになり、航空路の整備と共に、物の流入も激しくなった。
生活のあり方が、物質文明の産物(テレビ・冷凍冷蔵庫・自家用車など)の普及によって、大きく変わってゆく。人々は、便利さを求め、耐えることを避け、楽しみを追う風潮が激しくなっている。
だが、これで良いのだろうか、と心配する人達もいる。
家・家庭・家庭教育について考えよう。
「家」とは、生活の基本条件(食べる=摂取、ねむる=睡眠、おしっこ・うんこ=排泄)を満たすところ。
「家庭とは、生活の基本条件と共に、男と女の物語りが始まり、親と子の共存が認められる場。 そして、 「家庭教育」とは、成長発育の段階で、生活の基本条件を、親と子の共存の中で、好ましい姿へと発展させるために、観察と保護と指導がなされる過程、と私は考えている。
更に、ひとびとの暮らしを、「生活する場」で区分すると、家を中心に、家の中で暮らすのは、乳児 寝たきり老人で、家の近所で暮らすのは、幼児・老人だといえる。
そして、義務教育の段階では、小学校と家、中学校と家、即ち、学校区が主な範囲と考えられる。そして、それぞれの暮らしで、過ぎ去ったものにおもきをおく人(老人)もあれば、現実と対応して生活する成人(おとな)・乳児(こども)もあり、これからに期待する青年もいる。
時代は、大きく変化している。この変化と共に、生きてゆかねばならない。
家庭教育は、父母の責任である、と説くのもよい。だが、母子家庭、父子家庭の増加の傾向と、「おとこ」と「おんな」の夫婦から、父親母親へと成長しない核家族の親子の問題は、新しい家庭教育のあり方の研究へと進まなければならない。
家庭教育を、「家を中心に生活する場での教育」と捉らえ、生活する人達、即ち、乳児・幼児、小中学生と保護者と老人が共に働きかけねばならない、と私は考える。
家族構成の変化で、父母に代わる人達の指導が必要となる。そして、成長発育して家庭から社会へそして、成長発育して、家庭から社会へと進むとき、「こども」は「おとな」へと成長していなければならない。
家庭教育を、社会人となるための基礎的教育と考えるとき、その内容は、その地域での暮らしの「しきたり」と、生活の「けじめ」を身につけさせることから始まる、といえる。
そのためには、「家庭」の範囲を拡げ、「子供」を父母の子としてだけでなく、「地域の子供」と考え、家庭教育を「地域での教育」として、過ぎ去ったものと、今と、来るべきものとの調和の上になされねばならない、と考える。
筆者紹介
(現)神戸大医学部・関西学院犬心理学科・関西学院大学院法学研究科卒。国立兵庫中央病院勤務の後、日本政府派遣医師として昭和46年沖縄へ。
石川保健所長をつとめ、昭和52年那覇検疫所長に就任。神戸大、琉大非常勤講師を歴任。著書には『沖縄における食生活環境の健康と疾病に及ぼす地域特性に関する研究』など