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「婦人の主張」大会優秀賞 親と子の信頼と躾  新開 吉田洋子

人々が文化とか教育とかを考えるようになってから、常に「躾」ということに関りあいながら子どもを育ててきたことと思います。
子育ては、決して間違いが許されません。やり直しのきかない、難しく、そして、やり甲斐のあるものです。
現代の複雑な社会と、それに対応できない親の勝手な、場当り的な態度は、近年の、無気力、無関心、無責任の三無主義の子をつくりあげる要因になっているような気がします。これらの事はむしろ親の無知・無自覚・無関心・無責任の四無主義がもたらした、子どもたちの成長に対する弊害ではないでしょうか。
今、「校内暴力」とか「家庭内暴力」とか、病める現代の社会状況下、私たち親はどう対処すべきか、悪戦苦闘の日々を過ごし、絶えず不安を感じ、迷いとまどいながら子供を育てているのが現状かと思います。
ところで、現代の子どもは「競争相手はいても、友人はいない」といわれ、まさに点採虫の子が多く、心の栄養不足の児が多くいると思います。親の敷いたレールの上に無理やり乗せ、子ども自身の判断や意志を無視してはいないでしょうか。それは家庭で子供を「愛玩用のペットみたいに飼っている」といっても過言ではないと思います。
私たち親は子供を真の人間に育て上げなくては親の躾を果たせたとはいえないと思います。私たちは、家庭数育の原点ともいえる躾について、今こそ姿勢を正し、かつ冷静になって考えてみなくてはならないでしょう。
昔からいわれている「子どもは親の背を見て育つ」は、生きている言葉です。親が衿を正し、一貫した躾をしていれば、現代病といわれる三無主義で、親が、そして子どもが悩むことも少なくなると思います。また、非行等もおのずから無くなってゆくのではないでしょうか。
私には、小学校5年生、1年生そして、3歳と3人の子がおります。これまでの私は子どもの躾に関しては、甘く、そして自分に都合の悪い事は避けるというだらしない生き方をしてまいりました。
私は、これまで子どもをとても大事にし、それぞれの子どもの持つ能力や可能性をできるだけ引き出すように最善を尽してきたつもりでした。しかし、これは、親の勝手な論理のもとになしてきたものであって、今ふりかえれば、子どもをただ振りまわしていたようなものでした。
子どもを思う心とは裏腹に、自己中心的で、子どもに大きな負担をかけていたのです。子どもたちの、表面的には明るく屈託のない素振りに、自分は正しい子育てをしているものと、それこそ自己満足の、はきちがえた日々を過していました。特に、子どもが幼いころはわがままと知りながらもその要求は自由に叶えてやりました。
ところが、親の勝手とはこの事でしょうか。子どもが小学校へ入学し、高学年に進むにつれ、今度はあれこれ干渉するようになりました。学力一辺倒になり、子どもから遊びをうばい「勉強、勉強」と追い立て、次から次と子どもを駄目にするような言葉が出て来るようになったのです。あげくの果てには、自分の感情を押え切れずに手をあげる始末でした。そして、子どもの心身の成長より、勉強の成果だけを確める日々が続きました。このような乾いた日常で育つわが子は、4年生のころから自由な創造力に欠け、交友関係もなく無気力状態で、私が話しかけても無表情のまま、生返事をするばかりなっていました。
この時点に至って、初めて私は自分の愚かさに気づいたのです。
〈このままでは子どもが駄目になってしまう〉と思い、何とかしなければと、心はあせるばかりでした。しかし、これまで当り前のようにしてきた私の行ないが、そう簡単に変わるわけではありません、解決策も見つけ出せぬまま、親子の対話も少なくなり、冷え冷えとした雰囲気の中で育って来た子どもたちは、常に親の顔色を窺いながらオドオドとした性格になっていたのです。
私は、自分の思いを他人に語り考えを的確に伝える力、そして、共に喜び、悲しみ、自ら未来を切り開いていける子どもに育て、導いてあげなくてはと思いました。
まず、親子の信頼感を築き深める努力をしました。そのために、親である私が、しっかりした態度を持ち、お互いの気持ちを大事にして、親と子が自由に話し合える時間をつくり、休みの日などは、できるだけ家族一緒の時間を多くつり、子どものよいところはたくさん誉めてあげる努力をいたしました。それと少なくとも1日に1度は親子のスキンシップとして、子どもを抱きしめてあげる事を実行しました。また、寝る前には1日のいろいろな出来事を親子で話し合い子どもに元気がなければ手をつないで寝るようにしてあげました。
これらの事が良かったのでしょう。子どもたちはだんだんと明るさをとり戻し、生き生きとしてきました。自主的に勉強や手伝いなどもするようになりました。家庭の中にも笑いが多くなり、いつしか、なんでも話し合える親子になっていたのです。
親と子の信頼関係があれば、何をせずとも子どもは伸び伸びと育っていきます。これまでのいろいろなわだかまりも、傷が治るように徐々に消えてゆきました。
私は、この貴重な体験を人生の教訓として、これからも子の鏡となりながら子育てにはげみ、また、現代、失なわれつつある人間的温み、即ち「心を取り戻す」ことに努力し、子どもの成長を温く見守っていきたいと思います。

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大分類 テキスト
資料コード 008436
内容コード G000000493-0030
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第76号(1983年8月)
ページ 14-15
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1983/08/10
公開日