「山海の珍味高御膳やかん、ウメ(愚妻)がチャンプルやましやあらね」 戦前、翁は宮内省から3府43県の地方自治功労者として表彰された。皇居内の吹上御殿で今上陛下から御昼食を賜った。
そのときの模様や心境を町内の青年から聞かれ、詠んだのが冒頭の歌である。老妻のチャンプルーが何よりも増しという心情がうかがえる。夏はマーミナ(もやし)とゴーヤー(苦瓜)、冬は漬菜(チキナー)のチャンプルー、奥さんの愛情たっぷりの手料理が、翁の食膳をにぎわしたはずである。
「肝清(チムチュ)らさあてどフクタ(ボロ衣)くんはぢて 紺地くしられてお座に出ずる」ミノ虫の袋のような肌をした田(ター)ンム(水芋)でも心が清らかであればこそ黒砂糖田楽にみごとに料理され、お祝いの席に出されるとの意。人間は外観の美より肝(チム)、心(ククル)が第一だとのこと。
「物知らん童(ワラビ)いちゃんかんならん 五穀実らする宝(肥料)すてて」 年若い母親が幼児を連れ翁を訪問した。話しをしている内に幼児が粗相をした。青畳が汚れ、母親は恐縮し、幼児の尻を2、3回ひっぱたいた。それを見て翁は何事もなかったかのように平静を保ち、「アネーサン(よせよせ)叱るなアテナシの童やったこと」といい、この歌を詠んだという。
大悟徹底した禅僧のような翁の面目躍如たる人間味豊かな行為ではないだろうか。
山城瑞喜翁、去った沖縄戦で米軍の捕虜になり、耳が聴えないので、先に天皇陛下から賜った勲章を懐から出し見せたところ、日本軍将校と間違えられ銃殺されたとか聞く、安らかに冥せられよと祈る。合掌。(間野多賀弥)