なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

俳句つれづれ草 ふるさと再発見

町当局は数年前から植林事業を展開され、婦人会も無公害の石鹸造りに立上がられた。その地道な努力に対し、敬意を表したい。
ところで、わが町の甘蔗(きび)の単位当たりの生産量は沖縄一で、戦前はその他の作物も豊富に獲れ、場天浜は魚介類の宝庫であった。その遠因は、山に緑が多かったからである。
戦前は、琉球松や梯梧(でいご)、榕樹(がじゅまる)、赤木、福木、ゆうな、蘇鉄、やらぶ、阿旦(あだん)などの原生林の他にギーマ、マッコウ、天人花(モーバンシルー)、石蕗(つわぶき)、などの観賞用の草きや島橘(しーくゎさー)、蕃寿榔(ばんしるー)、蒲桃(ふうとう)、桃などの経済林も豊富にあったが、今ではそれらも非常に少なくなった。
山に緑が多ければ、水や空気が澄み、水源の涵養、防災、林産物の育成、野鳥や小動物の繁殖のほか、田畑や家畜を肥やし風致を良くして川や海の生命をも保守される。だから大木は、古今東西を問ず御獄(うたき)や霊山と結びつけられて、信仰の対象にもなっている。
そのことを踏まえてこれらの木も、町名物のハマジンチョウのように保護増殖をするなど、戦争で丸裸にされた山の緑と、公害で汚れた川や海の鮮度を昔のように取戻すことができたら後世への大きな遺産になると思う。そろそろ町の発展の象徴としての町花、町木町魚を制定されたらどうだろうか。

螢とび 水ゆたかなる唄の島
字新里の勢理客門中墓は、大正3年に2000坪の杜の傾斜を利用して建てられた。 1個で2トン以上の積石もあり調和のとれた曲線美に、どっしりとした構えは荘厳である。
この墓は、崇祖の念に厚い先人の頭脳を絞った文化的香りの高い作品で、沖縄随一の亀甲墓だと専門家は評価している。

新樹光亀甲墓の眉ひらく(山城青尚)

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大分類 テキスト
資料コード 008436
内容コード G000000492-0020
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第75号(1983年6月)
ページ 11
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1983/06/10
公開日