わがまちは、「どの字からもまち中が見渡せる」と人々は、天下に誇って来た。山に、田畑、海にと、まことに自然に恵まれた町である。昔、琉球を統一した尚巴志をして大望を抱かせたであろう事は、丘上に立つとわかる気がする。
一望にむら展けたり甘蔗若葉
人間は大自然の恵みによって育まれる。集団の育みは文化となり、これをうけついで歴史となる。若い人々は他から来た消費主義生活を「ぜいたくではない」と言う。金銭によって買われ、非生産のものは消費し消滅するが、自ら創り作った生活文化は地味ながら永く残される。
蒲葵の花暮らしの知恵の石畳
ヤマトの土より堅いこの畑を打つ鍬が作られ、土地に適した作物が作られる。個人だけでは出来ない仕事は古くから「結い」「模合」としてうけつがれ、今の組合の源となる。
雨乞ひの女綱上より傾ぎ寄る ささやかな愛農会議火蛾を友
わがまちは、戦前よりも木が少ない。戦火を受けた中南部で第一番に植木を手がけた。田畑の肥沃の基は山林である。また、人々の吸う酸素も大量に産し、健康と長寿の村や町となる。わがまちは今のところ県内上位の長寿村である。
風光るめがねの内の長寿眉
開発や耕地整理も大切だが、山を大切にしないと、何十年、何百年後の子孫に悔を残すことになる。
その一例が、スクナ山の頂上崩しであると言われる。
自然破壊をするとしまいには自然に見捨てられるという。眼前の利にとらわれず、このかけがえのない山野、ふるさとを子孫にゆずり伝える義務が我々にある。そこが町民の幸いの基本であろう。
豊かな農漁の町を寿ぐ 大桝の町章かかぐ新樹光 (瀬底月城)