なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

くしゆっきい① 即興歌人・ミンカータンメー

昭和ヒトケタの5、6年ごろ字仲伊保の現在の教会あたりに、発明工場という木工所があった。先頃亡くなられた新嘉喜友一氏と山城瑞喜さんでやられていた工場だった。山城さんは、耳が不自由なため佐知城高等の先生を辞め「ミンカータンメー」の愛称で慕われていた好々爺。その山城さんを囲んで、役場の宿直室で教え子の郵便局長屋比久孟正(以下敬称略)助役山城柳入、収入役楚南了治、元郵便局長小谷昌一(以上故人)、吏員の宮里寛一、渡名喜元喜、當真嗣善などの酒座が始まっていた。
小脇に弁当箱をはさみ帰りかける私に「君も一緒になれ」との声がかかり同席させられた。この山城翁、即興歌(琉歌)の名人なのである。
名人おもむろに、「君たちも皆んな身といんたきなたさや(皆一人前の社会人となったネ)」といい小谷昌一さんをかけて、「うんち(顔)官々と ヒヂやただ三しじ 餓死の世のミルクかんがあゆら」と詠まれた。苦笑いしたら、では詠み直そうと「ヒヂやシガシガと 顔は福々と だんじゅ福神やかんがあゆら」の歌。一同大爆笑。
この老翁、耳が遠いのでいつも和服の懐にブリキ製のアサガオの花型の補聴器、ゴム管を差し込み他人の話を聞いておられた。
今度は、自身をかけて「聴診器ゆ下ぎて 医者と見ばイッチャいちゃんかんならん耳んかたんめ」
筆を走らせているうちにストップ(制限字数)をオーバーするので、ではまた。  
(間野多賀弥)

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大分類 テキスト
資料コード 008436
内容コード G000000491-0010
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第74号(1983年4月)
ページ 5
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1983/04/10
公開日