過去20年以上にも及んだ「油汚れがサッと落ちる“輝く白さ”」の洗浄神話が崩れつつあります。
安価に、そして少量でも洗浄力が大きく白さが清潔と信じていた主婦にとって、この合成洗剤の洗浄神話崩壊は衝撃的なものでした。合成洗剤が人体や環境に悪影響を及ぼす化学物質として、今や主婦に認識されはじめ、その恐さがあらためて表面にでています。
今では、誰もが合成洗剤のことを“手荒れを起し、皮フから吸収され、体内に入ると肝臓障害を起し、そして台所から排出される水は、川を汚し、海を汚し、地下水までもダメにする”―と、これぐらいのことは知っています。
しかし、なぜか合成洗剤の使用をやめ、安全なセッケンに切りかえる人は少ないのです。恐ろしさは知っていても、なぜ合成洗剤追放を実施できないのでしょう。
物質面での生活が豊か(?)になり、便利さに染められてしまった日常生活。洗濯は、洗濯機で自動的に出来ます。しかし、この便利さの裏には、合成洗剤の人体、環境に及ぼす、恐ろしいものがかくされています。
合成洗剤を使用している限り、私たちは自然を破壊する加害者として存在していることを知らなければならないし、地球を汚し、自らの首をしめつけている…ということを今一度しっかりとうけとめる必要があるのではないでしょうか。
合成洗剤の主成分
合成洗剤は、食品や衣類から汚れを取りさる作用を持った界面活性剤が20%前後、助剤として添加されているものはボウ硝(粉末洗剤の乾燥、増量剤、あるいは洗浄効果を高める役割)50%程度リン酸塩(硬水を軟水にかえ、洗浄効果を高める)20~30%。
外に見かけの白さを強調する蛍光漂白剤、一旦おとした汚れの再付着防止剤(カルボキン、セルロース、メチル)などからできています。
〈リン酸塩-藻類の異常繁殖を引き起こし、赤潮の発生源〉
河川によって、海中に流し込まれたリン酸塩が、藻類の富栄養化現象(赤潮)をもたらします。栄養過多となった藻類は、活発な炭酸同化作用を行ない、水中の酸素量が増加します。これによって魚体内組織に気泡が生じ、呼吸困難におち入り、死に至ります。また逆に、藻類の繁殖により水中における光合成が低下し、酸素量が減少し窒息死するという事態もむかえます。
〈ボウ硝(無水硫酸ナトリゥム)〉
合成洗剤の中でも、最も大きい分量を占めています。これ自体は人体に直接の被害を与えることはありませんが、酸欠状態下では硫酸還元菌によって有毒な硫化水素ガスを発生させるため、極力、混入量を減らす必要があります。
〈界面活性剤(ABS、LAS)〉
水道や井戸水が蛇口から出て気泡を生じるのは、汚染によるものなのです。下水道の普及が大きく立ち遅れているわが国では、合成洗剤等の混った生活排水の9割が何ら処理されることなく河川や地中にタレ流しされていることに汚染は起因しています。
上水道中にある界面活性剤、とりわけABS、LASは、浄化過程でも分解されることなく、除去できずに口から体内に入っていくのです。
「魚類を使った実験では、合成洗剤中のABSによって、魚のみそ(味を見分ける働き)が破壊される。魚の場合本能として持つ毒性に対する忌避行動が防げられ、ひいては大量死へとつながっていく。ABSが魚のエラのタンパクに洗剤が付着し吸呼困難におちいるのである。
魚のエサになるプランクトンも、界面活性剤によって増殖阻害を受ける」
〈CMC(カルボキン、メチル、セルロース)〉
これも不溶剤のため、水を白濁させたり、下水溝をつかえさせる原因となっています。
自己の手で無公害石ケンを
合成洗剤を排し、安全な石ケンの使用が必要なことであるかもしれませんが、さて、具体的にはどうしたらよいのでしょう。
ここで、もうひとつの視点からこの問題をみてみましょう。省エネルギーの時代にあって、資源の問題も検討すべきと思うのです。
後50年、100年で石油の埋蔵量が底をつくといわれています。
こうした中にあって、資源の再利用、再生ということが私たちにかせられた、もう一つの課題といえるのではないでしょうか。
資源の再利用・無公害の石ケン- そうなのです。家庭で使われた、天プラの廃油等を原料に、害のない石ケンづくりが、私たちの手でできるのです。
物の使い捨て時にあって、暮らしを建て直す意味からも、これは重要なことと思えます。
佐敷町婦人連合会では、昭和57年10月16日、沖大の山内健一教授の“暮らしの中の公害を考える”と題しての講演を皮切りに、同11月15日の第一回石ケンづくり、町産業まつりでのデモンストレーション、展示等を行ない、合成洗剤の恐ろしさを訴えました。
この活動は、マスコミに取りあげられ、そして各地域に大きな反響を呼んでいます。昨年12月20日のつきしろ支部の石ケンづくりは『沖縄グラフ』の取材をうけ、58年2、3月号に大きく報道されることになっています。