遠く異郷の地にあって生活を営み続けた人々。あるいは、この人たちの心の中にこそ真の故郷佐敷は生きつづけてきたのかもしれません。常に故郷の発展を願い、同郷の人々をまとめ相談相手となり面倒を見てきた人がブラジル在住の山城粒吉さん。町では、この山城さんの功績をたたえこのたび感謝状を贈ることになりました。
山城さんは、戦後、第二次世界大戦で灰じんと化した故郷へ救援物資を送りつづけ、また本町でデイゴの植林が始まったことを聞き、さっそくブラジル産のピンユの種子を送ったり、馬天小学校の開校の際には、教材用にとピラニアのはく製や化石を贈呈して下さった方です。
ブラジルの地にあっては、広大な国土に散らばっている町出身者の消息をたずね、苦心の末名簿を作成、郷友会結成のため東奔西走したのです。
こうした山城さん達の地道な活動のかいあって、遠くブラジルの地にも第二の故郷佐敷が生まれるのも間近ではないでしょうか。