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34年の職員生活を終えて 前議会事務局長 仲村武一 

私は、1948年(昭和23年)佐敷村書記を拝命しました。あれから早くも34年の歳月が流れました。
光陰矢の如しと申しましょうか、過ぎ去った歳月をふり返り立ちどまって静かに回想してみると実に長かったようでまた短かかったような感じがいたします。
それと申しますのも、私はあの時27歳の若輩でしたが、はやくも60歳を数えているからです。
今、自分で自分の顔と頭を見たときに、やはり長い年月を経たんだなあーと思いますし、又あの時に生まれた方々も30歳を過ぎていますのでなるほどと思い、あらためて自分の年齢を自覚します。
さて、私は、村書記を拝命してから慣れない仕事で当初は毎日が不安でした。しかし、当時の嶺井稔村長をはじめ先輩職員の方々の暖かい励ましと御指導によって何とかやっていけるようになりました。
しかし、もうひとつ不安なことがありました。それは日常生活のことでした。あの当時私の給料は250円でした。たばこ1ボールが200円でしたからいかに苦しかったかがご想像いただけるものと思います。その当時の軍作業の賃金は500円ぐらいでしたので転職も考えましたが、私は、将来を見越して、安定した仕事に専念しようと決意したのであります。
このような状況でありましたので役場への就職を嫌い、採用されてもすぐ辞めるというその繰返しが続きました。その頃は大部落の新里でも出身吏員が一人もいないので、私が、5、6年も新里担当の吏員に充てられるといた状況でした。
話は変わりますが、私が採用された当時の役場は、現在の小学校体育館の上の方にありましたが、人里離れた場所であるうえ、外地からの戦争犠牲者の遺骨は次々に多数届けられるし、電灯はないし、宿直のときは、不安な一夜をすごしたものです。職員は、今とちがい少なくて(10人)毎週一回の宿直でした。
1950年(昭和25年)になって、役場庁舎(木造、かわら葺)が現在の場所に新築され、同年5月に移転しました。
同年9月には村長選挙が行なわれ渡名喜元秀氏が当選就任されました。
1954年(昭和29年)9月には津波元八氏が村長に就任され、1958年(昭和33年)9月には瀬底正八氏が村長に就任されました。私は、この頃まで庶務課に籍を置き戸籍係として11年務めました。瀬底村長が就任されてまもなくB円からドルヘの通貨の切換が行なわれました。
1959年(昭和34年)のシャーロット台風の来襲は特にわすれることができません。雨量600ミリ、風速70メートルのこの大型台風は、新里、佐敷、手登根、伊原に山崩れをおこさせたのです。特に新里においては、死者2人、家畜の埋没、家屋の流出、道路、橋などの決壊等大災害を被り、村内は大混乱となりました。私は、その時、工務課主任、社会事業係消防隊長の職にあったので、救助に東奔西走し、多忙な毎日を過ごしました。今でもあの災害の状況を思い起こすとき戦慄を覚えます。
1960年(昭和35年)7月には馬天港が浚渫されました。
こうして、瀬底村長は、多事多難に遭遇され、その心労は大変なことだったと思います。1961年7月には病気のため退任なされました。
1961年9月には、當真嗣善村長が就任されました。當間村長のときは、老朽化した役場庁舎の新築が想い出されます。
1962年(昭和37年)8月に現在の役場が竣工したのです。
1965年(昭和40年)9月外間長賢氏が村長に就任されました。その時助役が病気で鹿児島の療養所に入院されましたので、総務課長の職にあった私は、二人分の事務処理と来客の応待など大変多忙な毎日でした。特に議会が招集される場合、提出する予算や議案の作成などは、到底勤務時間内にはできず、家に持ち帰り毎晩夜おそくまでやったものでした。
1969年(昭和44年)9月には、渡名喜元尊氏が村長に就任されました。1972年(昭和47年)3月、本土復帰の直前、新開の埋立地全域を琉球土地住宅公社から村が買い取りました。また、同年5月15日の本土復帰に伴い地方自治法の適用のため、5月14日午後11時30分から村議会を開会、午前0時の復帰のサイレンの報と同時に条例規則の制度議決が行なわれたあの記念すべき日も、つい最近のことのようですが、あれから早くも10年目を迎えたのかと思うとまるで夢のようです。それから間もなくドルから日本円への切り換えが行なわれました。
1973年(昭和48年)4月には、新開の分譲入札が行なわれました。そして、翌年には、山城時正氏が村長に就任され、生活環境も整備され、今では、清潔で住みよい佐敷町になりました。
私は、1977年(昭和52年)、12年間続けた総務課長から、議会事務局に出向を命ぜられ、今、34年にも及ぶ村そして町の吏員生活に別れをつげました。ふりかえってみると、私はこの間、実に8人の村長、町長にお世話になりました、
以上私の記億をたどりつつ、就職から退職までの一端をまとめてみましたが、私がここまでやってこれたのも、町民各位の叱咤激励があったればこそと感謝の気持ちでいっぱいです。今後は、一町民として、できうるかぎり、佐敷町の発展に協力していきたいと思います。
長い間どうもありがとうございました。

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大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000483-0015
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第66号(1981年12月)
ページ 3
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1981/12/05
公開日