支那事変(昭和12年)の勃発とともに戦時体制はより一層強化されました。この頃から兵隊の召集が頻繁になっていきます。 家族の中から兵隊に召集された家庭では、大事な働き手を失い農作業等に支障をきたしました。そのために青年会が、その家庭に対し、畑に日の丸の旗を掲げて奉仕作業を行ないました。 戦時体制への強力体制が各字にも浸透していったのです。津波古では、西組、中組、東組の各組ごとに、この奉仕作業を行ないました。第二次大戦末期まで続けられました。(昭和15年頃) 写真提供 津波古 瀬底正繁さん