なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

一枚の写真 昭和13年3月 佐敷の師範学校生

戦前から我が佐敷は人口の割に面積が小さく他の地域に比べれば大土地所有者、あるいは富豪として知れわたるということは少なかったようである。そのために、勉学によって立身するという意識が強く教育村として知られ、多くの人材を送りだしていった。明治43年の琉球新報にも島尻めぐりの中で、佐敷の村の特長は青年会に夜学会と歌われ、その名をとどろかせていた。この写真は、このような教育村としての佐敷を象徴するような師範学校校門前における次代を背負う若者達の姿である。
戦争でなくなった方、現在も校長先生として頑張っていらっしゃる方と、いろいろな角度から今日の佐敷の基盤になっていった。

〈平田喜長先生談〉
この当時の師範学校には佐敷出身の学生が県下でも本部に次いで多かった。毎年卒業式の日に校門前で善吉先生を囲んで写した写真がなつかしい。
善吉先生は美術と習字の担当でガッパイ先生の愛称で親しまれ、バレーボールのコーチとしても活躍された。同郷の大先輩でもあり私たちの敬愛のまとであった。
前列の三名が私と同期生で、西村先生は当時から英語がすぐれていた。山城先生は一本気で、ひとつのことに集中する性格で、文検にも合格する秀才だった。私は音楽がひじょうに不得手で苦労しました。後列は私たちの後輩諸君で嘉数照一君と当間玉英君、城間源徳君は去る大戦でなくなった。(写真提供 平田善吉先生)

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大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000477-0007
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第61号(1980年7月)
ページ 4
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1980/07/20
公開日