わたしは、19歳で結婚しましたが、夫はすぐハワイヘ移民として旅立ちました。その後、夫は、アメリカヘ渡りました。私は、結婚して10年間ぐらいは沖縄に残って暮らしていましたが、それではきのどくということで、親兄弟が少ない財産を売って旅費を工面してくれました。私がひとりで渡米したのが大正のはじめです。この写真は、おそらく明治41年頃に夫に送るために親兄弟、従兄弟をまじえて写したものです。当時は、写真屋が近くにはなくて、わざわざ那覇まで、着替をもって撮りにいきました。
女性はほとんどカンプーを結ってジーファーをさしています。普段は髪を前に結ったりなどしませんが、写真を写すということで前に結ったのです。それもひとつのおしゃれだったのでしょうね。 着物は、だいたい夏はバサーで冬は木綿でした。それもいまとちがってほとんど自家製のものですですから、自分の家には、苧を植えてありました。また、畑ではもちろん綿も栽培しておりました それを、ヤーマなどをつかって紡いで反物をつくり、着る物を縫いあげたのです。昔の人達は、何でも自分でやったのですから、ヤカラだったんですよ。
それから、私の姑(前例右から二番目)は、左を前にして着てますが、女性の場合は、その人の好みによって、左を前にしたり、右を前にしたりしていました。もうだいぶ昔のことになりました。 (談)