この写真は、私が昭和12年8月、日支事変のため村内から召集された時のものです。佐敷村からは私も含めて12人が召集されました。(終戦まで生き残ったのは4人) これは、戦前の小学校運動場における出征兵士の壮行会であります。写真を見ておわかりのように、村役場職員、それに多くの村民が集まり、士気を鼓舞しでくれました。出発の時、子供達わお年寄りは津波古の現在のバクナー入口あたりまで、元気な青壮年層は与那原駅まで見送って下さいました。私たちは、態本で戦時編制を終え、朝鮮経由鉄道により南満を通り北支に入ったのです。天津の郊外は戦場で銃声が聞えました。
当時、私は26歳で、2カ年ぐらい従軍し、そのうちマラリヤをわずらい除隊になりました。
戦争にいくということは始めてで、戦闘がどんなに行なわれているものかわからず、戦争といってもはじめは実感がわかなかったものです。でも今後いったいどうなるだろうという不安はいつもつきまとっていました。皆がいくなら男なら自分も行こうと、皆意地でいったものです。いわゆる群衆心理というやつでしょうか。
除隊して、沖縄に帰ってきてからも、家で寝ながら、敵におそわれたり、逃げまわる夢を見てとびおきることもありました。
戦争より嫌なものはない。私は今考えてもそう思うのです。
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008435 |
| 内容コード | G000000474-0013 |
| 資料群 | 旧佐敷町(佐敷村)広報 |
| 資料グループ | 広報さしき第58号(1979年10月) |
| ページ | 4 |
| 年代区分 | 1970年代 |
| キーワード | 広報 |
| 場所 | 佐敷 |
| 発行年月日 | 1979/10/25 |
| 公開日 | ー |