佐敷村は、屏風のようにはりめぐらされた丘陵地帯と肥沃な平野でなりたっています。その丘陵地帯の一角で今、20年後の期待をになって、デイゴの若い芽がいっせいに吹き出しました。起伏の多い傾斜地をデイゴの木でうめつくそうとまさに長期展望に立った植林計画がすすめられています。これは、本村の丘陵地帯が、地すべりのおこりやすいところであること、そしススキやカヤのおいしげる傾斜地が多いことから、これらを効果的に利用し、植林をすることによって、防災の役目とさらに将来は経済林としても活用していこうという一石二鳥の目的をもつ計画です。現在、津波古と手登根の8ヘクタールの土地に、すでに1万5千本の植えつけが終ったところ、この植林事業は、国や県の補助を受けて、村が事業主体となって行っています。
この植林事業、昭和53年度には、津波古で試験的に2ヘクタタールに5千本を植えつけましたその結果は上々で、今年度は手登根に6.7ヘクタール1万本を計画、これもすでに終了しました。
植えられた木はデイゴ。地主との話し合いの中では、琉球コクタン(クルチ)、いぬまき(チャーギ)、果樹などを植えてはとの要望もあったようです。しかしこれらの木を植えると管理がたいへんで片手間にできることではないこと、しかも、国や県では管理に対する補助は1年間しかできないということもあってデイゴに決まったもの。また、一帯は、ススキやカヤにおおわれているためたとえかりにクルチやチャーギを植林しても成長がおそぐ、カヤやススキには勝てないということです。そして、チャーギは、ほっておくと害虫にすぐやられてしまうとのことです。
植林事業は、一面では地すべりを防止する役をになうわけですが、こんど植えるデイゴは経済性がゼロかというとけしてそうでもありません。デイゴは、軽軟で、乾湿に強く漆器の木地素地として最良だということです。
戦前、米国のデパートに展示された日本漆器のほとんどが、無慚にも亀裂が生じたり、変形していた中で琉球漆器のみがひとり健在であったという国の報告書もあるくらいです。漆器の木地素地として優秀な材を持っているのが琉球漆器の大きな強みだといえます。
その材こそ、デイゴやエゴノキ(シタマキ)であったのです。ところが現在、そのデイゴも年々少なくなる一方で、漆器の素地もオガクズやバカスを接着剤でかためたものを使用したものが多くなっています。
ところで、植林は子孫のためだといわれますが、デイゴにしても漆器の木地素地としてつかえるようになるためには20年の年月をまたなければなりません。まさに長期計画です。これには、国や県も国土保全という立場から積極的に協力し推進に努めています。
村経済課の調査によると、植林が必要な場所は、378ヘクタールあるとしています。現在わずか8ヘクタールをうえたところですが、年度計画でその全部をデイゴでうめつくしたいとしています。
現在、苗の確保がむつかしいところですが、津波古、手登根ですでに1万5千本も植えられています。津波古では、生育のいいものはもう2メートルちかくにもなっており、やがてそれからも苗がとれるということです。
この植林は、地主の了解を得て村が事業主体となって行ないます。植林後の管理も1年間は村が行ないますが、その後は地主に面倒を見てもらうわけです。ただ、補助事業との関係で、5年間は切りとったりすることができません。
その後は地主の希望によっては、改造々林も可能です。その時には、ススキやカヤもおさえられているので、他の樹木も育ちやすくなるわけです。
ともあれ、この植林事業、佐敷村の将来の新しい産業としても十分その可能性を秘めているわけで各方面から大きな期待が寄せられています。
私たちも、あたたかい目で、このデイゴの成長を見守っていきたいものです。