今年の始め外間区の知念盛吉氏が「珍らしい写真が家にある。昭和5年頃のもので君が佐敷小学校時代の思い出となろうから進呈する」といってわぎわざ拙宅まで持参して下さったのがこの写真である。
もう50年前の昔となっており記憶から遠ざかっているが写真を見つめながらありし昔をしのぶことにする。
当時私は23才の青年教師で体操主任と青年訓練所の教練指導員もした。その時の校長は南風原村出身の与那嶺茂種先生、首席訓導(今の教頭)は村出身の玉城柳耕先生、職員が14、5名生徒数が600名位だった。
さて写真に目を移すと、これは運動会の開会式の状況を北側から撮ったものであることに相違ない。
中央に日の丸が掲揚され万国旗が飾られている。こちら向きに並んでいるのは先生方、区長議員の面々、うしろ姿は生徒男女青年、それに婦人会員で服装も琉装、和装、洋服と種々雑多であった。
その頃までは単に学校だけでなく各種団体も合流してのいわゆる村民運動会の様相を帯びた村民挙げての楽しい一日だった。
左上の林は字佐敷の拝所、その右下に小屋があるのは楽屋(音楽堂)で係の先生方は始終才ルガンを弾いたり太鼓をたたいたりして汗だくになっていた。
今の運動会を見るときうたた隔世の感を深くする。(当時佐敷尋常高等小学校訓導)