脱主婦とか、キャリアウーマンとかいう言葉が人々の口に乗るのが多くなってきた今日今頃です。
私はある月刊誌で専業主婦の体験発表の手記を読んで、専業主婦のプロに徹する心構えと申しましょうか、専業主婦が家の中で、母として、妻としてのつとめを十分にはたすことが、いかに大切であるかということを身にしみて感じた様に思いました。
小さい頃から核家族の中でわがままいっぱいに育てられた私が、結婚を考えた相手が、なんと、祖母・両親、小姑三人弟二人の大家族でした。しかも長男で本家というどんなに考えても私にはとうてい嫁ぐ事は不可能な事だと最初は随分悩んだものです。それでも夫とは恋愛の末結ばれました。
結婚当初、同居するといえば、「大変だね」と同情の声が返って来るのが常でした。しかし、今では、もし二人きりで他人に千渉されない生活が一番幸わせだと思い込み、別居生活をしていたら、おそらく今の同居の良さ、姑、小姑のありがたさは、今だもってわからずじまいの人生を送っていただるうと思います。今になって、ただただ同居の良さを身にしみて感じています。
同居するまでは、夫の家族もいろいろ気をつかって、当初は別居を勧めてくれました。しかしながら、夫の職業上、それに長男の嫁は同居するのがあたりまえだということが私の考えでしたし、同時に実象の両親の願いでもありましたので同居にふみきることにしました。
結婚当初の家族の日課は、働きものの祖母の朝早くからの豆腐作りから始まりました。九時頃になると豆腐を店に配達し各家庭に売り歩くなどと重労働の毎日です。私も冬の寒い日などの朝の起きづらいことを時々実家の母の仕事ぶりを見てきているので、年とった祖母が大変だろうと思い、豆腐作りの仕事をやめられたらとさいさん口にしましたが聞いてくれません。そのぐらいの運動がなければ身体がなまってしまうとせっせと豆腐作りに専念する祖母でした。
姑は姑で家事一切を一人でまかないます。朝は早くから食事の準備といそがしく、食事もそこそこに豚や牛の餌の世話とつづきます。それをすませると舅と一緒に畑仕事に行きます。12時のサイレンと同時に帰り昼食の支度、食事をすませ、またまた畑です。夕やみと同時に帰って家畜の餌の準備をして、舅が餌をあたえている間に大きなカマに水を入れ、風呂を沸し、夕食の支度をと、それはそれは目のまわる忙がしさです。家には瞬間湯沸しがないわけでもないのに、どうしてだろうと最初のうちは思いましたが、お風呂に井戸水を使うのは、夏は冷たく冬はあたたかく湯沸かし器の必要を感じないからです。必要もないことにむだづかいはしないということなのです。それに家庭から出たゴミや古新聞を処理するのに便利だからと全然おっくうがらず毎日つづけるのです。そして、その残り水を利用し一枚一枚ていねいにせんたくをするのです。姑は今だかって洗濯機を使ったことがありません。
我家の夕食は、夏は9時頃、冬でもやっぱり8~9時頃になります。その時は家族全員がそろい楽しいひとときを過します。
姑は夕食をすませると疲れがどっとくるのかテレビを見ながら、ついウトウトと舟をこぐことがしばしばあります。
私はといえば子供ができる迄は共嫁ぎでいたいと思い姑に甘え家事一切を免除してもらい、のんきに会社勤めをしていました。でもできる限り会社がひけると早めに帰って姑の手伝いをと思いながらもかなしからずや宮仕え結婚したからといってゆうずうがきくわけでもありません。月末から月始めのいそがしさはどうしても九時頃迄の残業をしいられたものでした。それに会社の歓送迎会とかやれ新年会、忘年会といって年中には夜おそくなる日がいく日もありました。それでも姑や小姑は私がどんなにおそくなってもぐち一つこぼさずかならずおきて待ってくれたものです。
こうした中で家事が何一つ満足にできない私でしたが、姑の家事一切の万能さに驚き主婦業として姑から一つ一つ学ぶことの重大さを身をもって知ったのでした。
やがて長男ができ、次々、二男長女と3人の子供ができました。それを機に会社づとめもやめ主婦業の一歩を踏んだのが結婚して約六年後でした。名ばかりの主婦で子供を育てるのにせいいっぱいで家事どころのさわぎではありません。相変らず姑におんぶされたかっこうで、やれ子供がせきをする熱があるといっては自分はただ、おろおろするばかりで、姑や小姑のてきぱきとした処理にただぼうぜんと自分を見失なうことが常でした。
その時程、姑や小姑のありがたさを身にしみて感じた事はありませんでした。今では小姑達も皆、それぞれ嫁いで弟も独立し末の弟が家にいるのみで、結婚当初の大人だけの大家族が今では子供中心の家族にかわりつつあります。
今年で私が家事に専念することになって三年になろうとしています。それでも私は相変らず何一つ満足にできず姑の足手まといとなるばかりです。
今後は姑の助けをかりて一歩一歩専業主婦に近ずこうといきごんでいる半人前の主婦なのです。