尚巴志が築城したといい伝えられている佐敷グスクの発掘調査が去る14日からはじまっています。今回の調査は村の教育委員会が文化庁や県の補助を得て実施しているもので、約1か月間の予定で行なわれます。
第一尚氏の居館跡として多くの謎を秘めている佐敷グスクもこれまで幾多の開発行為のために原形を損う変更が少しづつ行なわれてきました。グスク内における構築物の建設や植樹等は地中深く埋もれている遺構や遺物を破壊する結果となり、そのため地域の歴史を研究する人たちによって、本格的な発掘調査の必要性が早くから訴えられてきました。そういう状況の中で村教育委会が調査を計画し、やっと今年度に調査の実現をみたわけです。
佐敷グスクは俗に上城とも呼ばれ、その規模は約一千坪でありけして大きいとはいえないが舌状台地を連郭型にカットしたり、あるいは凹地の造成を行なうなど当時としては大きな土木事業を行なっていたようです。グスク内からは、すでに村文化財保護委員の先生方から指摘されているとおり、中国産の陶磁器類や地元産の土器片等が多量に採集できます。これらの遺物はグスク時代の社会や文化を考える上で有力な資料となります。とくに文献資料の少ない本県にあっては、掘り出された遺構・遺物の調査を通して解決できる問題は数多く存在するものと考えられます。
佐敷グスクのようなグスクと呼ばれているグスク遺跡は、北は奄美大島から南は与那国島まで広く分布し、その数は200か所とも300か所ともいわれています。立地はおおむね石灰岩台地の先端、小高い岩山、海に突出した小丘、舌状台地の先端部などにあってほぼ共通した地形的特質をもっているようです。構造は首里城跡、中城城跡、今帰仁城跡などのように広い面積をもちりっぱな城郭が築かれたもの、あるいは岩石だらけの狭い台地に野面積みの石垣をめぐらしたもの、また峻立した岩丘だけのものなど多種多様です。このように各地に広く分布するグスク遺跡ですが、これまでのところ発掘調査はそう多くなされているわけではありません。今まで調査されたもののうち本格的に発掘が行なわれたところとしては、勝連城跡、座喜味城跡、昨年調査した八重瀬グスクなどのほか数件があげられるだけです。そういう意味では今回の調査は、発掘面積が広く、長期にわたる調査ですのでその成果が大いに期待できそうです。
ところで今回の調査には、どのような課題が負わされているでしょうか。
第一には、グスク内に当時の遺構(建物跡や溝、溜め井等)が実際に存在するのかどうか、存在するとしたらどんな遺構がどういう形で残っているのか具体的に明らかにしていくことです。
第二に佐敷グスク築城時の土木技術の程度を知ることです。
第三に掘り出された遺物から当時の経済、社会生活の様子を復元し、沖縄古代・中世史の全体像を浮き彫りにしていくことです。そのことはすなわち第一尚氏誕生の社会背景をきわめていくことにつながるものです。以上のような課題を負って進められた発掘ももう中盤に来てしまいました。調査はわれわれの期待通り順調に進んでいます。掘立柱建物跡、陶磁器や土器片、鉄釘、鉄鐵、牛の遺存骨などの遺構、遺物も発見されています。大地に埋もれた遺構や遺物は、私たちの祖先の歩んできた道すじを語る“歴史の証人”であり、科学的な地方史を系統的に理解するための生きた歴史資料となるものです。従って遺跡の様子を実際目で見、あるいは足で歩くことによって歴史との対話が可能となり、ひいては「ムラの歴史」への理解を助け、やがてそれは郷土への愛着に高められていくことと思われます。村民の多くが理解をもってみつめてもらいたいと思います。