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佐敷グスク 発掘調査始まる

期待される調査結果 第一尚氏の居館跡として多くの謎が 当時の経済・社会生活・文化の解明へ

佐敷グスク(上城)の発掘調査が7月14日から始まりました。これは、村教育委員会が国、県の補助を受けて、尚巴志の居城として知られる佐敷グスクの建物跡や当時の土木技術等の調査を目的として行なっているもの。調査は、ほぼ一か月の日程で進められるが、14日は、午前9時半から、山城時正村長をはじめ、月代の宮奉賛会(仲本兼信会長)の会員、村教育委員、村文化財保護員ら多数が参加して、起工式が行なわれました。発掘作業は、県教育庁文化課の協力を得て、当真嗣一主任専門員の指揮の下に、地元字佐敷の婦人等作業員十数名で進められています。16日からさっそく発掘にとりかかっていますが、すでに、十四、五世紀のものと思われる青磁のかけらや、館の柱跡らしきものが出てきています。村教育委員会では、文化財を大切にする心を養う意味で、村民多数の見学を呼びかけています。また、現在、編集が進められている「佐敷村史」にも、その調査結果が参考になるものと期待されています。
この発掘調査は、佐敷グスクの所在する地域が、近年公園化や住宅造成が進行し、遺跡の破壊の危機に瀕していることから、遺跡の保存措置を講じようと村が事業主体となって行なうもの。予第総額は300万円で、国から80%の補助を受けて、残りを県と村でそれぞれ10%づつ負担することになっています。
ところで、調査の内容は、尚巴志が三山を統一する以前居城としていたといわれる佐敷グスクを発掘調査することによって、当時の文化の水準をおしはかろうというもの。
7月16日から始まった発掘はまだ、試掘の段階であるが、30センチほど掘り下げたところで、すでに、当時の建物の柱跡と思われるものや、青磁のかけらなどが多数出土しています。また、佐敷グスクは、構造上斜面を切りとって、三段階の平面部を造った後がみられるので、その削りとった部分を調べることによって、当時の技術の水準を推し量ることができるということです。
沖縄の土質は、一般的に酸性土壌のため、骨だとか、木製の遺は、なかなか残りにくいとのこですが、それでも、穀物類など炭化して炭のような状態で残る合が多いようです。したがって、発掘には細心の注意が必要です。
十数名の作業員も最初は緊張ぎみでしたが数日続けるうち、今では手なれたもの。
現場をたずねると、文化課の専門員が親切にいろいろ説明してくれます。私たちの祖先は、いったいどのような生活をしていたのか。今度の調査結果をまたないとはっきりしたことはわからないが、大まかに次のようなことだと話してくれました。
「三千年ほど前、人々は、おそらく、現在の山手の琉球石灰岩の岩かげや洞穴に住んでいたであろうと推測されます。それから、石灰岩層の上の高台で生活し、だんだん海岸近くにおりて、そのあと、山の中腹あたりに移り住んだであろうと思われます。知念、玉城あたりでは、これらの変遷のあとを示す遺跡が発見されているのですが、佐敷では、調査がこれからといったところです。」
こうした発掘作業を進めることによって、ずっと昔から自分たちの郷土で、人々が生活していたのだということを私たちは再認識することができます。子供たちに、自分たちの郷土に誇りを持ってもらうまたとないチャンスです。
ともあれ、このような、発掘調査が、身近で見学できるのですから、夏休みのひととき、あなたも子供たちと見学してみませんか。

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大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000473-0001
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第57号(1979年8月)
ページ 1
年代区分 1970年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1979/08/01
公開日