沖縄農業の現状は、米の自給率わずか、5パーセントに代表されるように、豚肉、鶏肉などの一部を除き、ほとんどが輸入に依存している、この様な状態から、一日も早く、脱却しなければなりません。
本県は、台風の襲来、病害虫の多発、土譲条件が悪い上に、農の基盤整備が遅れている等の、悪条件がある反面、我が国唯一の、亜熱帯県であり、豊富な太陽エルギーと、高温という、他府県にない気象条件を活用しつつ、農業労力の節減を図ることにより、今後の沖縄農業の、活路を見いださなければなりません。
その為には、まず第一条件として、現在、小面積づつ散在する農地を個人別に、一まとめにして一筆ごとの面積を大きくすると共に、かんがい排水、農道を整備する事によって、機械化できる体制を作らなければなりません。
復帰後、農業基盤整備事業は、大幅に増大し、国頭村の奥地区においては、茶畑へのかんがいを実施し、成果をあげつつあります。
これを機に、若い青年達が都会から戻り、農業に取り込んでいる事も注目すべき点だと思います。
又、隣村の東風平村においても一地区が工事完了したところ、名地区の農家から、希望が殺到しているようであります。現在までに県下で同事業が実施されたのが、30ケ所であり、県内各地で新しい方向に、活発な動きが展開されております。
さて、本村におきましても、農業振興地域の指定を受け、農用地、非農用地等の線引きも完了し、昭和53年の津波古地区を皮切りに、実施する予定で準備が進められています。
本事業が完了した佐敷村はどのように変ったか、まず想像して見ましょう。台上から見おろすと、中城湾を囲むように佐敷平野が、広がっております。そこに農道が何本も何本も、真すぐに廷びており排水もきれいに完備され、大雨のたびに心配された。畑の浸水、浸食等もなく、碁盤形に区画整備された畑には、トラックターや耕運機等がいたるところで動き、車を畑に横付にし、野菜を出荷する人、養豚団地へ向うピクアップ、そしてハウスの中では、ピーマン・キュウリの手入れをする人、散水をする人、すぐ近くでは、大きく伸びたキビ畑の小かげから仕事の手を休め、語り合う親子の笑い声も聞こえてくる。そんな光景も多く見受けられるでしょう。
さあ、村民の皆さん、他の市町村でやれることが、我が佐敷村でできない事はないと思います。
この佐敷平野が、農地として最大限に利用される、計画はもうできあがっております。佐敷平野に活気がもどり、農業生産が増大し農業者の生活を、安定向上させるために、みんなで力を合せ、この事業を完成させましょう。
この事業を成功させるには、皆さん一人一人のご理解とご協力が是非、必要であります。共に頑張りましょう。