昭和51年、辰年の年頭にあたって村内各層から、年賀の御祝辞をいただきました。不況に明け暮れた去年の苦しい想い出は、除夜の鐘の音とともに、忘却の彼方に追いやり、飛躍のよき年を迎えるよう、村民の皆様と手をとりあって、新しい門出のスタートを切りましよう。今年は世直しの年でもあります。スクナ森の東からのぼる初日を拝んで、郷土佐敷の繁栄を祈念し、「今年こそは……」の意気込みで頌迎いたしましよう。
おめでとうございます。
始めて生れ故郷に
佐敷郵便局長 西村光雄
明けましておめでとうございます。
旧年中は、郵政事業に御協力下さいまいて厚く御礼申し上げます。
旧年中は、物価上昇その他いろいろの面で過渡期の年でありました、村民の皆様にはよくよく絶え新春を迎えるにあたり心からお祝い申し上げます。
今年の辰年も村民とともに限りない明るい豊かな年になりますようお祈りするものであります。
国も福祉国家としてあらゆる面に傾注して考慮されているところであります。わたくしは、はからずもその一部を取扱う国の出先機関である佐敷郵便局長を命ぜられ過日任致しましたが始めて生れ故郷に職場を得、郵便事業を通じ直接村民に対しての奉仕者となり村の発展のためご協力させていただきましたことはこのうえもない喜びとするものであります。
着任以来なつかしい山や畑の緑に包まれて先輩、知友のお声を聞きながら楽しいムードに浸って執務しておりますが、郵政大三事業(郵便、貯金、保険)の貴務の重大さに身の引きしまる思いがしてなりません。お蔭さまで近年における佐敷村の経済発展の活発化にともなって郵便局の取扱量も遂次増加して来ており職員一同これに対応すべく日夜張りきっております。
浅学非才なる者ですが、幸いにして優秀な職員が揃っておりますので全局員一致協力して村民皆さま方に愛され信頼される佐敷郵便局づくりに全力を尽くす所存でございます。
どうか従前にもまして絶大なるご協力を賜わりますようお願い申し上げます。
新たまる辰年を迎えるにあたりこの紙面を通じ村民の皆さまの御健康と御幸福をお祈り申し上げ、新年のごあいさつといたします。
辰年によせて
佐敷中学校長 平田喜長
あけましておめでとうございます。
さった卯年は経済恐慌で産活にも不安な年でしたが、あけて辰年は「辰の天上」「竜の翼」のたとえのように、竜は天に登る時は雲をわきおこし、雨を降らすめでたい竜として讃えられております。
きっと辰年は名にふさわしく、一大飛躍の年でありますよう心からお祈りするものです。
さった年は、国際海洋博が催され、沖縄経済が一大発展の契機として催されたにもかかわらず、予想どおりいかず幾多の問題をかかえております。
内外ともにきびしい苦難な年でしたけれども、本校におきましてはみごとな体育館が建築中であります。このようなりっぱな体育館は他の中学校にみられません。建設するまでには幾多の困難がありましたが、それをなし遂げてもらいましたが努力にたいし心からの感謝を捧げます。
やっぱり佐敷村は教育村だと、誇れるものがあると信じます。体育館が完成した時のことを想像しております。体育館の壮麗さ、整えられた校舎、運動場、わが村の自然美は教育環境を美しく整えられ、そこに学ぶ生徒たちの幸をつくづく思います。通風採光もよく、涼しく、明るく、静かで勉強に体育に一段とすばらしさを加えるものと思い希望に燃えています。
村民各位のご指導ご鞭撻によりすばらしい中学校がますます発展するよう村民の信頼に添うよう頑張ります。
本校で特に努力していることは、朝の自習の定着化をはかり習慣づけようと励んでおることです。
早登校を奨励し登校したらすぐ朝の自習にとりくむ。8時15分までに登校できない生徒は廊下に膝まずくこと。初めは気の毒にもおもいましたが、矢張りやってよかったと思います。天気の悪い時にも殆んどいません。本遅刻(8時30分)は皆無です。職員と生徒会の協力と相俟って学習意欲も高まりつつあることをうれしく思っております。
いまわしいこれは困るというような問題をおこす生徒もおりません。それで問題児指導にも時間をさくことなく楽しい援業に精進できます。たいへん羨ましく頬笑ましく思って頑張っております。
これ偏に職員生徒の共通理解相互の信頼によって、共通の立場を尊重する人間関係の中に、やんわりと素直に育ったものだと考えています。対外的な体育学習発表にも佐敷健児の意気をあげ、りっぱな上位な成績です。辰年はより努力しなお学校教育の振興に頑張ります。
最後に皆様の御健康とご幸福を祈り、辰年を心からお祝い申し上げます。
かしこい婦人に
婦人会長 嶺井和子
あけましておめでとうございます。
昭和51年の輝かしい新年を迎えまして、村民の皆様、婦人会の皆様へ謹んで新年のごあいさつを申上げます。
激動する社会情勢の中で、昨年は特に、国際的な沖縄海洋博覧会が催され、私たち婦人会でも、海洋博を盛上げるため、パレードや、美化運動などを通して参加出来ましたことは、喜ばしいことでした。それから、不景気の渦まく中、物価調査なども行い、インフレ抑制のための努力もいたしました、また昨年は、記念すべき国際婦人年でもあり、国際婦人年記念大会も行われました。
スポーツの面では例年のように婦人バレーボール大会や、教育委員会の主催で、第一回体力づくりスポーツ大会が、婦人会、老人会参加のもとに盛大に催され、楽しい一日を過ごすことが出来ました。また、社会教育主事のご指導のもとに、初めてフォークダンスクラブを結成し、月二回の練習に、楽しく励んでいます。
例年のように、婦人の学習の場である婦人学級も開設され、多数の婦人が、かしこい婦人になるため、学習に励んでいます。
村当局では、国立老人保養施設の誘致運動や、知念村地内への刑務所移転反対運動など、盛たくさんの問題を抱え、めまぐるしい変動の一年でありました。
今年こそは、これらの諸問題が一時に解決される最良の年となりますよう、皆様とともに念願し、今後の活動を進めて参りたいと思います。皆様のより一層のご協力とご指導をよろしくお願いいたします。最後に皆様方のご多幸とご健康をお祈り致しまして新年のごあいさつといたします。
厳しい状況に対処
商工会長 屋比久孟儀
村民の皆様、明けましておめでとうございます。
当商工会も昨年6月、村内商工業者待望の中に、県の指導助言、並びに村行政当局及び議会の強力なバックアツプの下に結成、誕生致しました。以来早や半年、内外の厳しい経済情勢を素肌に感じつつ、使命感に燃え、あれもやろう、これもしなければならないと無我夢中で取組んでまいったつもりでありますが、産声をあげたばかりの当商工会にとりましては、荷が勝ち過ぎ、大半の事業を新年に持ち越す結果となってしまったことを大変残念に思っている次第であります。
然しながらただ残念だと済まされる問題ではありませんので、これから3月までの残された事業年度を、役職員一体となって経営改善普及事業はもとより一般事業の逐行に邁進する所存でありますれば、会員並びに村民各位のより一層の御理解と御協力を賜わります様お願い申上げる次第であります。
さて、昨年をかえり見まするに我々商工業者を取り巻く情勢は益々厳しく、海洋博の期待はずれ、企業例産、失業者の増大等々、口を開けば悪い事ばかりしか出て来ない年でありました。新年度も経済に関する限り必らずしも明るい要素を見出すことは出来ません。否、むしろ海洋博後の観光収入落ち込み等で、ますます厳しさを加えるかと考えられます。かかる情勢を踏まえて、村内商工業者として一人の落伍者も出さないためには、より一層の組織の強化と、国県並びに村当局の施策を素直に受け入れ、地道に一歩一歩踏みしめ歩むことこそ肝要かと考えます。
新年にあたり、私の拙ない所感の一端を申し述べ、商工会会員並びに村民各位の御理解と御協力が得られれば幸いに存じます。
新年度が村民各位並びに村商工業者の努力により限りない繁栄と御多幸をもたらす年となります様に祈願し年頭の御挨拶と致します。
最後に未尾を借りて此の機会に当商工会役職員を御紹介申上げます。
会 長 屋比久孟儀(字仲伊保)
副会長 狩俣玄正(字津波古)〃 町田清輝(字新里)
監 事 瀬底正毅(字津波古)〃 前川守正(字兼久)
理 事 宮城柳吉(字津波古)〃 古謝景保( 〃 )〃
石原昌市( 〃 )〃 瀬底正繁( 〃 )〃
宮城睦善( 〃 )〃 安谷屋正治( 〃 )〃
平田正雄(字新里)〃 宮城春緑(字兼久)〃
儀間真安(字佐敷)〃 屋比久桃吉郎(字手登根)〃
小波津政信(字仲伊保)〃 与那嶺正光(字外間)〃
大城金次(字新開)〃 親泊元昭( 〃 )〃
仲村安正(字富祖崎)
事務局 花木義彦(字外間)〃 山内洋子(字仲伊保)
おいしい給食を
給食センター所長 神谷吉五郎
謹んで新春のお慶びを申上げます。
輝かしい昭和51年の新春を迎えまして、村民の皆様PTA会員及び先生方のご健康とご繁栄を心からお祈り申上げます。
昭和50年は、国際的な石油危機に起因するインフレーションが前年より更に進行し、諸物価の高騰をはじめ、相つぐ公共料金の値上げ等で、村民の経済生活は極度に圧迫され、期待された海洋博特需による経済建直しも、本土資本や、一部県内企業によって無惨にも打ち砕れ、村民生活を潤すことなく、終焉を迎えようとしています。きびしく暗い卯年でした。
さて、昭和48年11月設立以来、児童生徒の給食を受持つ本組合も、前述の影響をもろに受け、野菜、果物、肉類、半加工食品、調味料等の食材料、洗剤、燃料の軒並み値上げをはじめ、水道料金の270%アップという公共料金の値上げにより、非常に苦しい運営を余儀なくされたのであります。
しかし、児童生徒の給食を預り、衛生的、かつおいしい給食をモットーに、誠心誠意頑張っている職員をはじめ、給食費の徴収という煩しい仕事に従事されている各字PTA班長並びに会長、学校職員、村当局、村議会並びに村民のご理解、ご協力、ご支援により大過なく越年することができました。心から感謝申し上げます。
ところで、昭和51年の県経済の展望はどうでしようか。海洋博後の県経済は、縮小再生産が予測され、失業者が続出するものと思われます。村民にとって、また私共児童生徒の給食を預かる者にとってもまた一段ときびしい経済状況が襲来し、暗い辰年になりそうです。
しかし、苦心し、苦労することの中から発展があるように、この不況の時期に、村民の英知を結集し、より快適な生活が、また私共にとっては、より衛生的でおいしい給食ができるように、村民と共に頑張っていく所存であります。
なにとぞ倍旧のご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申上げましで新年のご挨拶といたします。
創造性の確立を
青年会長 平田康幸
村民の皆様、明けましてお目出度う御座居ます。
希望にあふれた昭和51年の新春を迎えるにあたり、皆様の御健康と御発展をお祈り申し上げます。
さて、昭和50年をえり返ってみますと、さまざまな出来事がありました。まず、代表的なのが、沖縄国際海洋博覧会、それに伴う経済困乱。その社会情勢の中で村長さん初め、村政に力を注がれた方々、まことに御苦労さまでした。
さて、我が佐青連の昭和50年をふり返ってみたいと思います。
まず4月の総会で、リーダー不足の低滞ぎみの中で弱冠20才の年で、青年会長に選ばれ、執行部10名で、微力ながら自分たちなりに、精一杯頑張ったっもりでありますが、毎年の反省事項として取り上げられる行事のマンネリ化。
女子会員参加者の減少等、ただただ変化のない行事消化のみに終始したきらいも少なくもありません。現在の若者が真に求めているもの、青年独自の行事(特に文化面)を持てなかったように思えます。その原因としては、まず、推進懇談会等による会員の声を聞けなかったことと、下部からの突き上げ(青年会というものに対する感心の薄さ)と娯楽施設の進んだことによる創造性の貧弱さ、それにリーダーの少なさ、役員の研修や外部との交流の場が少なかったことなどいろいろ考えられます。
そこで、今後の青年会活を、自分なりに考えてみるとまず、何と言っても、皆んなが、気軽に話し合える場を、より多く持たなければなりません。それによって会員相互の理解を深めることができ、また同好会、サークル活動を通じて、青年の立場と目的等を充分認識し、これを組識内に生かす姿勢を青年一人一人がつくりあげていけば必ずや若者が魅力をもって参加できるすばらしい青年会動活ができると思います。
最後に、会員の皆様、諸先輩の方々、この昭和50年が、佐青連にとって素晴らしい年となるよう御指導、御引き立ての程を、切にお願い申し上げ、年頭の挨拶にかえさせて戴きます。