なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

すべてにひとしい教育を 適正就学指導委員会の設置で

12月9日のタイムスで、県に適正就学指導委員会の条例化の動きが活発になり佐敷村、知念村にもその動きがあると報道された。
この委員会の働きは、児童生徒の適正な就学指導と教育的措置を行うために教育委員会より諮問をうける組織である。この組織が設置されたことは、心身に障害をもつ児童生徒及び父母にとって福音ともいえるできごとである。なぜならば個々の児童生徒の能力に応じた教育がなされるばかりでなく、障害の早期発見と早期治療につながるからである。我が国の教育が明治5年の学制発布に始まり、以来100年、いまや就学率世界一といわれるまでになったが、学制発布そのものの意味は、「富国強兵」への道であったし殖産復興であったことは否定できない。よって心身に障害をもつ弱者は、それに参与できないためつねにとりのこされ教育的な措置がなされなかったそのような考えの流れが現在までつづいているような面が多々みられるのは、残念なことである。
その1つに、3才児検診、6才児検診で、心身に障害があると発見されても、教育的措置はなんら与えられることなく放置され、父母兄弟にとって苦悩の連続、児童(本人)にとっては、教育基本法にもとずく「ひとしく能力に応じた教育をうける権利」までうばわれ、就学を猶予されてきた。
ところで教育とはいったいなんだろうか。古くからいわれているように、読み、書き、ソロバンが教育なのだろうか。知識の高揚が教育なのだろうか。教育とはそれだけのことなのだろうか。それならば学校教育はいともかんたんなものであり、教師は日夜苦労する必要はない。教育は人間の全人格の高揚でありそして人間の発達を保障するのも教育である。であるからこそ学校を中心に地域社会及び家庭が協カ-努力しあわなければならないのである。このように考えてくると教育を受ける能力がないから、就学を猶予するということは発達の可能性がないということを意味する。別の表現をすると、この児童は永久に発達変化がおこらないということである。そうだろうか?幸いにして、心ある人々が重度の心身障害児(者)でも教育や訓練によって、いちじるしく変化し、彼独自の発達をしつづけることを実証し、かつ早期教育が行なわれるほどその効果はいちじるしいことも明らかにされている。このような多くの事例がでるにつれて世論の注目をあび昭和54年4月1日を期してすべての学齢児童に教育への道がひらかれ、ほんとの意味の「能力に応じた教育が等しく行なわれる」ということになったのである。
それに先立ち、我が佐敷村においても適正就学指導委員会の発足の動きがあるということは教育行政の姿勢を高く評価できることである。心身に障害をもち社会的自立の困難な人々にたいして、「生涯教育」の目標をかかげ、障害児(者)が幸せな日々がおくれるよう教育委員会としてもはからってもらいたいものである。

佐敷中学校 与座忠

ダウンロード
大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000452-0026
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第35号(1975年1月)
ページ 7
年代区分 1970年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1975/01/01
公開日 2023/10/18