村民の皆様、この頃市町村合併という言葉をよくお聞きになるでしょう。
この市町村合併ということは、今各地で論議され、又新聞や、ラジオ等でもひんぱんにとりあげられています。
そこで、本村でも政府から早期に合併したらという助言もあり、これまで各会合の度毎に合併についての話し合いをもち最終的には去る1月9日議員協議会をもって、本村の方向を示していただいたのであります。
では、この合併問題を村民の意思に反しないよう、正しく進めるためには、委員会を組織して研究させることを決定、委員19人を選出しました。
では、ここで佐敷村町村合併促進委員会々則を掲載しましょう。
佐敷村町村合併促進委員会々則
(目的)
第一条 町村合併を促進するため、佐敷村合併促進委員会(以下「委員会」という)の組織、運営、その他委員会について必要な事項を定めることを目的とする。
(職務)
第二条 委員会は、次の事項を所掌する。
(1) 町村合併に関する計画の策定について調査研究する。
(2) 町村合併の促進について啓発宣伝をする。 (組織)
第三条 委員会は、20人以内で組織し、次に掲げる者のうちから村長が委嘱する。
(1) 村議会議員及び事務局長 5人
(2) 村役所職員 5人
(3) 知識経験者 若千人
2 委員は、それぞれ前項に掲げる委員としての委嘱を受けるべき地位を失ったときはその職を失う。
3 委員は、非常勤とする。\\t\\t
(会長及び副会長)
第四条 委員会に会長、副会長をおく
2 会長は、村長、副会長は村議会議長をもって充てる。
3 会長は、会務を総理し、委員会を代表する。
4 副会長は、会長を補佐し、会長事故ある場合は、その職務を代理する。
(会議)
第五条 委員会は、必要に応じて会長が招集し、会長がその議長となる。
2 委員会は、委員過半数がなければ会議を開くことはできない。
3 委員会は、出席委員の過半数をもって決し、可否同数のときは議長の決するところによる。
(費用弁償)
第六条 委員には、費用弁償を支給する。
2 前項の費用弁償の額、ならびにその支給方法は、村議会議員の例による。
(庶務)
第七条 委員会の庶務は、村役所職員の委員のうちから書記を会長が任命し、その庶務に当らせる。
(補則)
第八条 この会則に規定するほか委員会について必要な事項は、委員会に諮り会長が定める。\\t\\t
附 則
この会則は、1971年2月13日から施行する。
委 員
△議 会
神谷正雄 普天間善徳 玉城安四郎 玉寄兼尚 徳本善成 (5人)
△役所
渡名喜元尊 宮城徳仁 外間文治 金城 清 仲村武一 (5人)
△知識経験者
平田善吉 津波元八 当真嗣善 外間長賢 瀬底正俊 小波津厚一 上原忠一 真栄城博明 崎山美代 (9人) 以上の会則に基き19人の委員によって調査研究が進められています。
先づ現在まで話し合いがもたれた四ヶ町村(大里村、与那原町、佐敷村、知念村)の話し合いはやや順調に進みつつあることです。
ただし、今ここで申し上げていますことは、合併について、本村としてどのような話し合い、またはどのような手順で現在まですすめられ、そして今どのような段階にあるかをお知らせしたのに過ぎません、決してこうします、こうなりますではございませんので、誤解のないよう申添えてます。この合併については本村の将来においても慎重を期すべきであり、最終決定段階では村民の真の意図に反しないよう部落懇談会、あるいはアンケート等によった資料をもとに、議会において議決されるものであることをお知らせいたします。
なお合併について、本村の現在の状況を申し上げましたが合併をすることによってどうなるかを総務局地方課が発行した「市町村合併のしおり」を掲載しましょう。
何故市町村合併が必要だといわれているでしょうか
一、皆さんが住んでいる市町村の地域は殆ど7、80年前の間切時代の区域と同じものです。
当時は道路も悪くバスは勿論自転車さえなかった灯油やハダシの時代ですから何処にゆくにも歩くか馬を利用するほかなかったのです。電話やラジオがあったわけではなく新聞もいきわたらず郵便でも今日とは全く違って不便でしたので昔の役場の仕事をするにはほどよい大きさだったのです。
所が今日では飛行機や船、自動車等の交通機関、また電信電話電気等の文化が発達して昔の一里は今日の何里にあたるか見当がつかないほどです。
皆さんもご存じのように沖縄から飛行機で東京まで4時間近くもかかったのが僅か4、5年のうちに1時間50分に短縮されています。
皆さんの町や村も道路や航空路の整備をみると僅か数十分で那覇にゆけることになりましょう。このように私共の経済、社会生活は、日に日に進歩し変って行くのです。
そして又戦前は何事によらず政府や県庁の指図ひとつによって動いてきた市町村の制度も大巾に改められ、住民が自分の市町村は自分の力で興すというたて前に改められたのです。
いいかえれば自分たちの村のことは自分たち村民でやってゆくという民主主義の制度が確立されたのであります。
すなわち皆さんの村は皆さんが選んだ市町村長と議員が一切のことをきめ、処理することになっているのです。そしてこれらの費用は当然市町村で賄わなければならなくなっています。
これまでは、時代の進展に遅れながらも昔ながらの小さい市町村でどうにかこうにかやってきたのですが今では市町村でやらなければならない仕事が非常に多くなり責任も重くそのため役所職員がふえて人件費が嵩み、また議員の仕事もふえて経費がかかるなど町村財政は苦しい状態におかれております。
そして小さい町村は町村という名前だけで町村らしい仕事、つまり皆さん住民の幸せになるような仕事が充分にできない苦しい財政実情にあるわけです。
これに反し那覇市のような大きな市町村では自分で道路をなおしたり、市営住宅を建て住家に困っている人のための仕事をしたり、福祉長家、子供の遊び場等の福祉施設を造ったり、上水道を引いたり、運送事業をしたり、住民の幸せになる仕事をしてどんどん発展してまいります。このため大きい町村と小さい町村の住民のためになる施設や財政力の開きは益々大きくなるばかりです。\\t\\t
そこでこの際真剣に市町村合併の問題を考えないわけにはいかなくなったのです。
皆さんは日本本土の各地で昭和28年から大規模の市町村合併が行われ、当時約9600を数えた町村は現在では約3545となって、5500余の町村が減少し、これにより約2000の新しい市町村が誕生したこと、又合併後の新市町村では住民の幸福を増進するためその区域の実情に合せて郷土の発展のための色々な事業が行われ、すばらしい効果を挙げていることを新聞雑誌等ですでに御存知のことでしょう。資源も乏しく財政的にも恵まれていない沖縄の市町村は市町村で調達できる自己の財源では役所の人件費を賄うのに精一ぱいといったところが多く、住民がより幸せになるための仕事にはとても手が廻らないのが実情です。
私たちは本土の市町村合併を見習うまでもなく、自らの生活を向上させ豊かな暮しができるようにするため一人一人が自分自身の問題とし力を合せて合併を進めてゆかなければなりません。
二、「皆さんの町や村はすでに教育文化面においてはもとより交通、電信電話電気その他公共事業は隣りの町や村と一体化され、日常生活においても市町村の境界をこえていろいろのことがなされている状況であります。」
経済文化や交通機関の発達している今日ではいまの小さい町村ではせま過ぎるようになったということです。
社会経済文化の発展は一日も止ることがありません。その発展に取り残されないようにするために皆さんの町や村も一日も早く合併して盛り上る全体の力で総合発展の基礎を築き郷土の振興を図るよい時期ではないでしょうか。
市町村合併を妨げている理由は何か
「市町村合併をした結果がよいことはすでに合併した市町村の実績でよくわかっている筈ですが、何故それにもかかわらず市町村合併が遅々として進まないのか、また困難なのか、その理由について日本本土の合併体験によると 永い間封建的政治の下にあった市町村住民は新しい地方分権的民主政治についての認識が充分でなくその上、町村的政党政派の対立が伝統的に残っていることなどから理由なしに反対のための反対をする傾き、「即ち、彼等がやるならわれらは反対だといったような感情による反対が合併を妨げた大きな原因のようです。」又大きい町村と、小さい町村とが合併すると小さい町村は大きい町村に合併後圧迫される恐れがあるとか、小さい村は大きい村に比べて税の負担が多くなるとの考え方から合併に反対している者もあります。
また合併すれば村長や町長或は議員にもなれないといった理由から合併を喜ばない人々もあります。
合併ということは、大町村に小町村が吸収または編入されることだとのひくつ感からも合併はいやだという者もあります。町と村が合併したなら町の商人たちによろしく勢力を占められて村は損をするだろうといった理由で反対する者もあります。一番困ることは時期尚早論でありまして、この時期尚早という言葉はその裏に不純な理由が種々かくされていまして正直にそうした理由が発表されていない場合はこの言葉を使って反対を表すことが智恵者のやり方だと思われるからだと考えます。次期の村長をしようともくろんでいた人が、合併されると村長になれないと思っていながら正直にこのことを反対理由として発表できる人はないといってさしつかえないでしよう。
そこで、時期尚早という言葉で反対しても恥しくない理由として人々が受けることを知ってこの言葉を持ち出して反対したいということになります。
また助役になりたい収入役になりたい、議員になりたいためにもこの言葉が利用され、まことに便利な言葉となっています。
次に町村内に極めて一部ではあるが知識人がいて何事によらず町村のことに干渉して村内に問題を起している場合がありますが、そうした騒動屋といわれる人々のおる市町村とは合併しようと希望するところがない。正しい民主政治を伸すための騒動ならいいが、そういう人々に限り権利は主張するが義務は負わないという利己主義者である場合が多いのです。
次に一番困難なことは、地理的環境から隣接町村にどうしても合併した方が便利な部落がずい分多くみうけられます。所がその部落の住民が全部隣接市町村に合併することを賛成しているのに拘らずその町村議会がこれを許さない場合がまゝあります。その部落は誰がみてもそうした方が住民のために便利であるということが認められているのですが、議会に、その部落から一人か二人の議員がでているにすぎないので議決してもらえぬといった事情、町村としてはその部落を失うと財政的に弱体化されるという理由などから、そのことに反対するということなどです。
また同じく地理的環境から合併しようとする町村の一部はA町村に、他の一部はB町村に合併した方が便利だという場合も非常に多いことです。
以上は本土の合併体験ですが皆さんの市町村にはこのような昔ながらの殻に閉じこもっている政治家や村民は一人もいないことを信じています。