議長 普天間善徳
酉年は平和建設の年
1969年新春を迎えまして御芽出とうございます。今年は酉年でありますが昔から暁の鶏の鳴声は平和の象徴で建設の年であると云われて居ります。
憶へば悪夢のようなあの残酷な第二次世界大戦が沖縄戦を最後として終りましたのも丁度昭和20年(1945年)の酉年でありました
是から推測しました場合今年は何だか平和建設の年になる様な予感が致します。
佐敷村百年の計
佐敷村百年の計として村民の多年の懸案であった馬天桟橋の浚渫と馬天潟原の埋立も村当局や議会及び馬天復興期成会等が一体となって其の筋に毎年折衝を重ねて来ましたが余りにスケールが大きいだけに資金が大きく、なかなか実現せしむることが出来ませんでしたが村民のご協力のもとに今年の酉年こそは是非実現せしめなければ村民に対しても申訳が立たないことを私達全議員決意を新たにして居る処であります。それで去った11月の臨時議会でも浚渫と干拓は村の要望であり早く実現してもらうように政府に具申致しました。
其の問題で政府側の話に依りますと干拓の総面積は40万坪で是を三期に分けて実施されることにならうが先づ第一期工事は漁業権との関係のない馬天から字兼久の北側迄約8万坪の予定であります。
若し是が実現して浚渫船が馬天港に来ることになれば村の多年の希望が叶えられますので村を挙げて歓迎の意を表さねばならないでしょう。
浚渫と干拓後の構想
若し浚渫後に大型船舶が接岸出来るようになれば商港として客船は那覇に貨物船は馬天に誘致し以て那覇のバース難も解決出来るのでないかと考えられます。
尚世界の海運界はコンテナー時代が来ることを予想しますのがコンテナーは国際規格があって8インチ-10インチのスチール製の箱で其の中に5屯乃至40屯の貨物を積み込んでこれを直ぐ目的の商社迄運ぶし、荷降ろしが従来の10分の1の経費で済むと云ふて居ります。尚干拓地は住宅地を始め石油を原料とする工業、例えば家畜、飼料やピニール、テトロン、プラスチック等或は南アジアから原木を輸入製材する工場も誘致出来ましょう。
是東南海岸に世に世界最大の石油会社としてガルフ、カイガー、エッソ、東洋の四大会社の進出に伴いこれと結びつく工業用地であり是から佐敷村の前途も洋た々るものになるでしょう。