なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

本土視察研修を顧みて

視察団々員
団長 副議長 玉城源光
団員 議員 普天間 善徳
〃  〃   屋嘉部 景興 
〃  〃   瀬底 正麗
固定資産評価員  宮城 福光

佐敷村の皆様新年御目出度う御座います。輝かしい昭和43年の新玉の年を御迎えなされ村民の皆様が御健康と幸福にめぐまれる最良の年でありますよう祈念し併せて佐敷村の発展を心から念願する次第で御座います。さて今回広報さしきに貴重なる紙面を割譲して戴き我々が本土視察研修の御報告を申し上げ更に感想を申し述べる機会を与えて、戴きましたことを無上の光栄と衷心から感謝申し上げますと共に今後も尚一層御指導と御鞭撻の程を御願い致します。
我々村議会議員は日本復帰を前提に考え近き将来復帰実現の際は村民福利発展の段階で本土との格差をいくらかでも縮め更に不安や混乱もなく。スムーズに復帰が出来る事を念願し何時か機会に恵れば本土のあらゆる産業発展の実状を視察研修をしたいと思って居りましたが幸いにして村当局、議会及び村民の皆様の御理解と御協力に依りましてこの度議員から4名と村当局から1名の本土視察研修団を構成し去る1967年10月20日から11月11日迄の23日間の日程で各地を視察し無事に終る事が出来ましたことを御理解と御協力下さいました各位様へ心から重ねて感謝申し上げます。
又我々が視察研修で得ましたあらゆる事が佐敷村の将来への発展に貢献出来る事となれば何より幸いであり更に最善の努力を尽くし度い所存で御座います。
昔からの諺にもある通り「百聞は一見に如かず」と云う言葉どおり全く然りであります。先ず我々が実際に目で見て肌に感じた事は本土と沖縄とは市町村行政やその他総ゆる産業経済の隆々たる発展は我々が想像したよりも大きな伸びでありそれ等に比べて沖縄の実態を考えて見た場合戦後の無から立ちあがり今日の状態に迄立ち直った事は勿論日米両政府の援助もあって更に琉球政府や各界各層を問わず全住民が全力を奮って復興に邁進なされた賜として喜ぶ可き事ではありますが尚本土との格差は大きく政治的視野を広め政策に反映して我が佐敷村の村政に前進せしむるためにも此の度の視察は大いに意義深く思う次第で御座います。ではこれから私は視察地の実態を大まかに順をおって書きまして尚詳しい数字的の参考資料は他の方々から出して載く様に分担して御座いますので宜ろしく御願い申し上げます。
先ず最初の視察地へは10月24日岐阜県の大垣市島里町にある南農業協同組合へ行くために岐阜県議会事務局を訪問し次長の杉山実氏やその他の方々から心よく御迎えを受けた後しばらく応接室で懇談し事務局が用意して戴いた車で組合へ向い間もなく組合へ到着した。その時組合では多数の人集会して居られたにも拘らず組合長の林仁七氏は我々を気持よく迎えて下さいまして一室へ通して貰いそこで色々と組合の状態を伺った。
▲南農業協同組合では次の通り運営がなされて居る
この組合では農協合併助成法に依り昭和37年4月1日に4つの組合が(南杭瀬、多芸島、洲本、浅草)合併され岐阜県では最初に行われて居るとのことでした。そして同組合では大々的な計画を立てられ実施されている。
一、機械化営農組合が組織され水稲の植付から収穫まで機械化されている。
 (団地では)
一、何処の農村にもあるように農業人口が都市地域へ吸収され人手不足だったが機械化に依り好成績があがっている。
一、農業多角経営を目指し盛に養豚、養鶏、酪農等で農家収入は向上してある。
一、農耕地の整理が(団地では)実施されどんな農道でも車の運行が出来薬品撒布も機械で行われている。
一、同組合では業種別組織でスムーズな合理的に運営方法がたてられている。
又この組合の第一目標としては他の産業と同様にレベルを上げるために農業近代化で機械化に依り前進することにある。との事でした次に10月25日は愛知県安城市姫小川町芝山にある桜井農業協同組合へ行きましたがここも前以って連絡が事務局からなされていたので組合長の杉山富一郎氏は我々を歓迎して戴き早速応接室へ通して貰い、お話を伺う事が出来た。

▲桜井農業協同組合では次の通りでありました
この組合は旧桜井町にあるわけですが昭和42年4月1日安城市へ合併された(市町村合併で)ようである。又組合も昭和36年7月に4つの組合が合併(桜井、小川、三ッ川、藤野)し運営面も拡大されていて、この地域は日本でも農業の先進地として広く知られつい最近印度からもわざわざ米作りの事で視察に来られたとの事を如何にも嬉しそうで話しておられたがやはり米作りは日本でも1、2を競う程だとは我々も成程とうなづける。そして同組合でも
一、最初に人手不足を補う構想で集団作業が昭和30年から始めていること(グループ式で)
一、耕地の整理も行い大型農耕機械を利用しての水稲栽培。
一、機械班が組織されて少い人員で大きな成果をあげ労力も省きその上ある農家では耕地一切を機械班に任せて、ほかの勤め先へ転職し増収の方法につとめている。 (二重儲けが出来る)
一、機械化に依り集団で水稲の栽培もスムーズに行われ収穫時も好成績で効果をあげている。
一、ここでも農業多角経営が行われ、養豚、養鶏、肥育牛等も盛んであり野菜作りも本格的に行われている。
一、有線放送事業も実施せられている。
総体的にはやや大■■農業協同組合と共通点があるように感じられた。以上で農業関係の分は終りまして次は漁業関係について申し上げたいと思います。
さて11月6日は大分県南海部郡上浦町にある。瀬戸内海栽培漁業センター上浦事業場へ参りました尚当日は大分県町村議会議長会の事務局長の麻生貞夫氏から連絡されていたが我々一行が同町の浅海井(アザムヰ)駅に着いた時(12時40分)はすでに駅には同町長の管昇氏議長の富高嘉久氏その他1名の方々が車を準備し待って居られ心良く迎えて戴き戴に恐縮した次第であった。早速センターで場長の山内正一氏からの御説明に依ると。

▲瀬戸内海栽培漁業センター上浦事業場では
一、同事業場は水産庁直轄で(他の県にも4ケ所ある)運営されていること。
一、従来の取る漁業ではなく育てる漁業も重要であることから同事業場では人工ふ化も行なっていること。
一、化学的に研究がなされて毎年多くの種類の魚の子が海へ放流されている (毎年40万尾以上)
一、場内近くの海では飼育場があって(綱を張って)時間を定めてエサを与えて発育の状態も調べている。
一、毎年放流されている種別の魚類は(まだい。ちだい20万尾。かわはぎ5万尾。いしだい。いしがきだい2万尾。めばる2万尾。はまち稚魚8万尾いさき。その他4万尾)8種類となっている。その他漁業協同組合も73名の組合員で組織運営されているようだったが時間の都合で見る事は出来なかった。要するに栽培センターの役割は何時までも海の幸に恵まれるような仕組になっていることである。又上浦町は小さな農漁村で人ロ (5,800人)は佐敷村より少いがこの町はみかんの産地でもあって毎年多くのみかんが輪出され町全体がゆとりのある風格を見せ生活の面もうらやましい程であった。
次は11月9日鹿児島県指宿(イブスキ)郡開聞(カイモン)町にある、かいえい漁業協同細合へ行く事に(皆で相談して)決めた。実はこの組合はかねてから評判のよい組合で機会があったら是非見た方がよかろうとの話を前々から聞いて居たので日程にもなく又連絡もしてなかったが(自由行動の日程をかえて)何んとかして貰えると言う訳で早速出掛けて組合を訪間して見ると当日組合長は出張中でしたが幸いにして会計主任の野口良一氏が心よく気軽に応接間へ通して貰い愛想の好い面持ちでお話をして戴いた。

▲かいえい漁業協同組合では次の通りでありました
一、漁船も大型化。やはり 中型船及び無動力船も併用して適当に利用し最高度に活用していること。(大型は50トン)
一、この組合でも将来を考え養殖事業も兼ね漁業が順調に運ぶように計画を立て漁民が安定した操業が出来るように考えられている。
一、漁穫は年々上昇して居り漁民も生活を安定して居るとのこと。以上であらましを書きましたが次は

▲農村を見て
前記の2ケ所の農村は主要産物の米作りであり乍ら農業多角経営も順調に進み組織と規模とも大きく立地条件も恵まれ排水、橋、農道、農水路等の基本施設も完備に近い状態となり適地適作が高度に利用され農業近代化であらゆる機械が揃い協業作業、集団栽培及び収穫作業等は大きな成果をあげ農村の収入面も向上しつゝあることは、うらやましい限りである。

▲漁村では
漁村では漁業関係の施設も特に近代化され研究機関も充実し資し資金の恩恵が広く行きわたり(県市から補助金も大きく)漁船も大型化し安全操業が行われ、それと併行し栽培漁業養殖漁業等が化学的に行われ何時までも海の幸が得られるよう計面を立て着々と成早をあげている話は全く前途に光が輝やいて居る感じである。次は沿道での印象として各地共に山地の開発を日指し開墾されつつあり。そして計画的に植林(杉)果樹園(みかんや柿等)が出更にその山地の要所には観光施設の事業も盛で山の頂上にも高層ビルが建てられ何処を見ても沖縄の島には程遠いような感じがする素晴らしい情景であった。さすが先進地の違業さが感じられる。
又都市地域では美化され歩道を見てもちりや紙くず、たばこの吸穀等も捨てられず要所々にはちゃんと容器が設置され各自が自覚して自然的に投げ込むようにしてあり又歩道の側にはセメントで作られたと思う大きな花鉢のようなものには大小色々な花が咲いて美しいので道行く人の心を楽しませて呉れ運ぶ足も何んとなく軽くなるように気持ち良い風景でその花がモギ取られたりヘシ折られた様子もなく生々とした伸び方で思わず顔を寄せ度くなる位である。先進地の都会人の公徳精神の高揚さが身にしみて感じました。それで我等の島沖縄の都市地域にもこのような立派な風察があってほしいと思い、遂名護へ行く道中には事故防止に重要な役割をして呉れているあの力ーブミーラーの事が心に浮ぶ。多額な経費を要して設置し事故を未然に防止し人間の尊い命を守るかのように何んの不平も言わずに人間様へ奉仕したい一念から年中立ち通しのカーブミーラーがどんな悪い事をしたのか人間様から無惨にも破壊せられることであった。自分乍ら情ないような気がする。そこで我々沖縄の人も公徳精神をもっともっと見習い、よい社会環境をつくらねばと痛感した次第で御座います。色々と書き度い事は訳山御座いますが紙面の都合も考えまして以上で大体を書き終らして戴き。次に視察地では米作りが主要農作物であっても我が佐敷村では異なったきび作ではありますが色々と考えなければならないと思う。例えば製糖期にもなると人手が不足し猫の手もかりたい程である。その作業方法も旧態。い然として何んの進歩もない現状であります。そこで良く言われている考える農民になり度い。それで前述の様な農業機械化も必要ではなかろう(将来は)かと思う次第であります。そして、1つ1つ実現させるよう全村民が努力をしなければならないと痛感し。更に我が村は現在きび作一辺到であり。将釆は村当局、農協、議会とタイアップし(現在もそうではあるが)農業形態も考え組織と規模を最大限に計画を立て農耕地の整理も慎重に検討し又農業多角経営の面も研究し実現を計り。
例えば現在でも養豚、養鶏、肥育牛や乳牛等も飼育はしていてもみんな零細的であり如何にすればこの状態から脱して(毎年きび価格を不安に思う農業のあり方では)新しは時代の農業形態で前進を計らない限り何時までたっても他産業のレベルヘ追い若く事は望めないでしょう。又漁業関係にして同じ事が言えると思います。やはり組織と規模の問題で何れにしても事業の拡張や機械化にするには多額な資金が伴うがゆえに。この面は前に述べましたように村当局、農協議会で大いに検討を重ねて長期低利融資の拡充等も考え事業の発展を期し。更に佐敷村は山地も多いので何時迄も放任せずこの面も検討を加え可能な限り開懇もやり例えば植林(適当なものを考え)果樹園(みかんやその他)も作る可きではなかろうかと思います。しかし理論等には容易でありますが実現は朝一夕に出来る事ではなく今後の政策として研究し考える農漁民として可能にする様に頑張り度いと深く痛感するわけで御座います。
以上で視察の御報告と我々の感じた事等を簡単に申し述べ感想の一端と致します。

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大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000426-0017
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第15号(1968年1月)
ページ 4
年代区分 1960年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1968/01/01
公開日