なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

「成人の日」 該当者(73人)

佐敷村では去った1月15日は「成人の日」の午前10時から役所ホールにおいて成人者73人をお招きして来賓多数のご臨席のもとに成人式を行った。
先ず式は村長のあいさつに始り紀念品(成人手帳)贈呈村儀会議員、小学校長、教育委員会委員を代表して宮城鷹夫氏の激励のことばの後に成人者を代表して玉城光秀さんの謝辞があって一応成人式が閉じられたついで式終了後役所敷地内に記念植樹を行い引続き成人者を囲んでの和やかな昼食会ダンスパーティ等があって午後3時盛会裡に「成人の日」を過した。

村長あいさつ
 ごあいさつを申し上げます。今年も又「成人の日」がやって参りました。村でも成人に達しられた皆様をお招きして成人式をあげることが出来ます事を喜ぶ者であり、多数ご参加して下さって有難うございます。今年は73人の皆さんが成人に達したわけで、ほんとにお目出度うございます。昔から世の中はあいみたがいと云はれて居り「ツイムチムチ、ツイタシキダシキ」と云うことばがそれに当ると思います。1つの家庭が多く集まって部落を作り、その部落が集って村が成立っていることを考えるとき村が平和で前進する為には各部落が平和で前進的でなければならないし、各部落が平和で活気に満ちた部落である為には部落を作っている1つ1つ各家庭が平和で活気満ち笑顔があふれて居なければならないのであります。夫婦を単位として営なまれる家庭が夫婦別々の考え方で生きるときそこには意見の衝突が生れ笑顔は消えて重ぐるしい気になりましょう。それにひきかえ共に語り合い話し合う中には笑顔がうかび1+1は2でなくて3になり4になって現在、苦しいことも苦にならずよい思い出として残きれるものであります。世の中、いわゆる人間関係は和が大切であります。家庭も部落も和によって向上し進歩するものだと君えます。この和と云うことは人からわけて貰うものではなく自分の力で作り出す以外はない。成人になりこれから世の荒波を乗り切って行かねばならない若い諸君、とにかく元気一杯に若い力を遺憾なく発揮してよりよい明日を築く為に頑張って下さるよう祈念申し上げて私のあいさつと致します
1967年1月15日

「成人の日」を迎えて
嶺井敏子

成人の日を迎えるということは心身に緊張感を覚える。傍観者の立場であった時、成人の日を迎える人を羨望視していた。つまり一時も早く親の視界から独立し1人前になりたいという下心があったわけだ。ところが、いざ自分がその立場になった時自らの手で世の荒波を克服しなければならないかと思うと、いつしか自信を失い、又親によりすがろうとする。そんなことでは決して1人前とはならないのである。すなわち、他人への依存心を切断し、独立独歩の精神を植えつける。その区切りを肝に銘じさせるのに「成人の日」の意義があると思う。往時、成人の式に代行する元服の式というものがあった。小人から大人への足場としての儀式であり、慶を結いジーファーをさし羽織袴を着用することによって仲間入りすることができた。元服を迎える(15才になる)と部落民から1人前と見なされ部落の生業にも参加する義務を課された。
1人前だと認められると誇を感じ労に精出すことができるのである。節に折目があるように人生にも折目がなければいけない。その折目が年日にあたるわけだが「成人の日」を迎えることはそれに劣らずより重要である。
過去の十代というものは人生に於いてさほどの比重はないがこれからの人生の、ための礎としての役目は十分である二十代、三十代と広がる私達の世界は未知である。未知の世界に盲目的に従順するより、十代に築いた礎に何をどのように処設するかが私達に与えられた課題である。
成人の日という折目を期に独立、自活の列車に乗り込んだ私達は精神的に依所のない未熟者である。
未熟者はそれなりのレールを邁進して駅に辿り着くのが常である。ところがこの常道を横道に脱することもある。そんな時それも私達の特権である。その善意の判断もつかづ、横暴に駆使するかも知れない。私逮の無知をなだめ、広い体験で私達が夢の持てる人生を送れる様御指導お願い致します。
 1967年1月15日

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大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000422-0006
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第11号(1967年1月)
ページ 2
年代区分 1960年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1967/01/20
公開日