1966年度の合同慰霊祭が5月8日年後2時から佐敷小学校々庭の慰霊碑前で琉球政府厚生局長並びに沖縄遺族連合会長及び村有志多数と遺族500余名が参列して行われた。
祭文
本日来賓、御遺族多数御参列のもとに合同慰霊祭をとり行うことが出来たことを感謝申上げ謹んで哀悼の誠を捧げたいと思います。
こゝに神鎮ります1200余柱のみたまは、遠く日露戦争以来去った太平洋戦争において、住みなれた郷土なつかしい最愛の妻子父母兄弟にわかれて北は満濠の荒野から南は南海の孤島に至るまで転戦に転戦を重ね祖国防衛に或は郷土防衛のために酷寒淡暑を冒しながらあらゆる困苦欠乏に耐え忍んで私達国民の身代りとなり身命を国家に捧げて散華下さいました。
痛恨の極み、唯断腸の念を禁じ得ません。
思えば幾多春秋に富む身命を惜しみなく国家のために捧げられたにも不抱らず敗戦に終りましたがあれから21年皆様方のいとし子達は戦後のあの苦難にも打ち勝って雄々しく育ち今やりりしい若武者となって郷土再建に邁進して居られます。
ごらん下さい、この佐敷平野の青々とした豊かな実り、静かでのどかな光景を…
これは皆様の遺族の方と、生き残った者の努力の結晶であります。
われら村民は皆様方の尊い精神を肝に銘じ、再びかゝる不幸が繰り返されない様に御遺族の方々と共に手を握り次代の青少年にタッチするように努力する事をお誓い致します。
こうすることが皆様方にお報いする唯一の道だと信じます。
私達は皆様方の御冥福を心からお祈り申し上げますと共に御遺族の上に限りない御加護を下さいますように念じてお慰めの言葉と致します。
1966年5月8日 佐敷村長 外間長賢