第三次日本研修団として吉田勇、宮城喜義、城間万清、村役所財務課長の仲村武一君を加えて四名で構成され、団長の指定はなく合議制にし、村よりの旅費を有難く頂戴、まだ行った事のない憧れの本土の視察研修は此の上もない慶びでございます。我々を乗せたひめゆり丸は10月16日那覇港を出発致しました。「此リ迄がやゆら、又行逢がさびら、今日の出じ立ちや定みぐりさ」嬉しいやら淋しいやら今日は村の敬老会の日で御座います。祝電を打つのも船の中、習い覚えた上り口説を口づさみながら5時間もかかって沖縄を通過致しました。地図に小さく記された沖縄も案外広いものだと思いました。鹿児島に着いたのが翌日の午前9時此処で昼中は休みまして午後7時城山号の急行列車で大阪へ立ちます。夜間の旅に外景が見られず窮屈此の上もない思いである。いつしか汽車は山口県に入り夜は白々と明け始めます。汽車の窓より望む外の景色は沖縄のキビに匹敵する稲が黄色く波打って果しなく続いており部落は山の麓に点々とひろがり煙がもうもうとたな引いて居ります。
どの部落にも小さな町工場が一つ二つはある様である。此れ等の工場に農家の片手間の労力を提供致しまして農家収入と相まって経済面を大きく潤しており、若者の都会流出、又は離農防止に役立つ事と聞きます。では沖縄はどうでしょうか、都会復興だけに明け暮れ都会集中政策を最良だとされてるかに見える。ではいつの日にどなたの手によって地方分散政策が打ち出されるか注目しよう。大阪で一泊致し19日急行列車高千穂号にて東京へ立ちます。
京都、名古屋、横浜を過ぎ東京着は午後5時半で御座います。
琉球政府東京事務所を伺い此処の斡旋により千葉県八千代町の千拓事業と神奈川県横須賀のダイヤ畜産株式会社(久志村仲本興明)見学の予定だったが八千代町に於いて余りにも丁寧な観迎を受け時間消費してしまい畜産関係の見学が出来なかったことを残念に思います。尚干拓事業に就いては紙面の都合により大阪府高石町の干拓事業の欄に語ることに致し産業面、畜産面の事は第一次研修団長嶺井行正第二次研修団普天間善徳の両氏が此の欄で語って居られますので私は私なりで自分の感じたことを書せて貰います。10月21日東京都内の観光に出かけます。どこの名所、旧跡、神社、仏閣でも復元修理にやっきになっており観光誘致に枝をつけ、葉をつけ、色をつけ宣伝に努めております。10月22日朝7時のはとバスで日光の見学に参ります。途中、栃木県に差し掛かる時此の観光バスの車内で自己紹介が始まります。だいたい女性の紹介と我々沖縄人の切実なる日本復帰の叫びには気の毒とでも思ったでしょうか拍手が湧き起りました。日本復帰に一役買ったものと高く評価して自己満足しております。東京観光では宮城、浅草観音、東京タワー、高輪泉岳寺、オリンピック競技場、靖国神社、其の他、名所旧跡、此で常日項からの憧れの日本見学あの世への御土産切に切に感謝申しております。
10月24日東京を立ち大阪へ帰ります。大阪府企業局臨海開発部計画課へ参り高石町の干拓事業見学に案内されます。今度大阪府千拓事業の総面積は600万坪であり、高石町の分の面積は150万坪以前高石町の面積170万坪今度の干拓の分を合すと320万坪にふえるんだと申して居りました。此の事業は大阪府直営事業で一仙も町村負担にならない。この埋立地は町村に管理運営を任され大阪府としては売却金、貸地料等が大阪府(還元され各工場等よりの税収は共の市町村の収入となります。此の干拓工事の経費は莫大の額に上っても土地代がそれだけ高く売れますから大丈夫採算は採れる。大きい会社等はその海面の権利だけを買って自費を投じて埋立し自社専用の港まで造ってある。我れ等の馬天港は干拓事業にはいとも理想的条件の備わった場所である。此の港を整備することに依って我等村民の悩みは一掃出来るものと思います。例えば観光事業、工場誘致、耕地分合、避難港の整備等村民皆様の着眼も同一だと思います。
我が馬天港と大阪府高石町の千拓事業と結び付けて見当する事は余りにもかけ離れた桁違いに溜息をつくばかり貧困町村の悲しさ、琉球政府の貧弱な政治力ではこういった干拓事業は出来ないもんでしょうか。せめて日政援助、又は米軍の援助に依ってでも馬天港の干拓整備をやって貰う様推進すべきであろう。
大阪視察を終え10月30日四国の愛媛県へ渡ります。愛媛県庁自治会館へ参り此処の案内に依り、ミカンの産地、菊間町を訪問致します。此処は純農村で佐敷村の約3・5倍強の町で菊間町と亀岡村とが合併した村です。日本と云わず離農、都会流出は共通の悩の様である。同町として、離農を喰い止める為にも産業開発つまり農業構造改善事業を推進することになった。総ては機械力を利用山々を切り崩して谷間を埋めて高低を少なくし農道を開いて開懇を起し灌水工事と耕地分合断行し集団ミカン園を造成した。山のてっぺん迄ポンプで水を送り人工雨量を計り今では菊間方式と云って全国的にミカンの産地として有名になりました。各戸平均ミカンの普及率は、ミカン77.2%、水稲11.4%其の他で11.4%だと申しております。
此処で感ずる事はミカンの栽倍は研究を要するとしで耕地分合は自分の村でも出来んもんか、戦前のキビの積み出しはせいぜい2屯半でしたが今は7.8屯も積みこれだけのキビを刈るには三、四カ所の畑を廻ることもあろう。機械力を利用する近代的農業は百坪畑より三百坪に纒める耕地分合が痛感されます。しかし祖先伝来の土地の観念とか利益関係から抜け切らず実現は不可能に近い。将来馬天港の埋立てが完成の暁には此を利用して耕地分合の見通しも明るいとされている。11月2日四国を離れてこがね丸で別府へ向います。同船の中で感じたことは大分県旅行団の生徒が同じ服装同じ丸刈りで規則正しい行動をしていた事である。不良児の年々多くなる我が沖縄の今日なんとか出来んもんか親のスネをかじり教育を受ける学童は中学といわず高校といわずある程度の締りは強行してよくないかと思う。沖縄の昔の格言は「若さる木ぬるたみらりーる」と云うのに今は自由伸び放題とは対照的な云い分、ヤンリカンラの様に甘やかし壁にぶつかったらはね返って折れはしないか生徒は生徒らしく金持ちの子も貧乏人の子も見分けのつかない同じ服装で同じ丸刈りも決して悪くないでしょう。古い頭の考え方が違っているのかも知れないが、此れから参る別府は有名な温泉地帯であるゴウ音も物凄く噴き上げる御湯は恐いやら珍らしいやら今にも爆発するのでないかとひやひや致しました別府では至るところ観光客で一パイです。
我が沖縄でも観光資源に依る収入はキビに次ぐ重要な問題として各町村とも資源開発に大童です。一寸した事一寸した物語りに枝をつけ色を塗り嘘をまじえての観光宣伝、日本も沖縄も同じでございます。我が佐敷村に何の観光資源があるでしょうか。強いて云えば尚巴志の居城佐敷上城と馬天港位のものでしょう。此処も何の施設も施されてないので観光地としての真価は極めて簿いもんじゃないか、馬天港の千拓と港湾整備、そして大里城跡との連結観光問題に付いて真先に浮ぶ事である。ちなみに我々各区に伝わる昔物語り伝説、名所旧跡等がありましたら皆んなの力でほじくり出して観光事業の一助にしたいものでございます。今から550年程前佐敷尚巴志に滅された北山のバアンチ主の三男外間子四男喜屋久子が難を逃がれ大里接司に助けられ津波古村に、隠くれ村造りの神様として下神座の御墓に祭られてあります。こういった様なケースがないだろうか。此処で皆様観光バスで佐敷を通る時バスのガイド嬢は伝説のない村としで琉球民謡でごまかしている事に気がつきます時淋しい思いではございませんか、10月5日別府よりの帰途鹿児島県庁へ伺います。此処で色々の御話の中で次の様な面白いお話がございました。自治法に議長の任期は四カ年を明記されてあるにもかかわらず殆んどの市町村が一年交代二年交代となっており甚しい処になると正副議長一年交代、一週期に四回交代することになる。そしてその都度世界漫遊豪華な旅にでるとか、村民の皆様20日間の本土視察で色々と見たこと聞いたことを書き連ねましたがここで前に申し上げました愛媛県の松山市菊間町のミカン栽培について一寸記してみましょう。この町は松山市から汽車で約一時間、海に面した面積38平方キロメートル、佐敷村の約3.5倍の人口1万1千人を有する静かな町であります。重要産物の約80%がミカン栽培でございますがその収穫たるものは実にびっくり致しました。沖縄主要産物であるキピと菊間町のミカンの一坪当たりの所得を計算してみた場合ミカンの収益1弗30セント沖縄のキビが40セントで実に三倍強ということになります。その反面生活水準も高いのでございましょうがもう一つ学ぶべきことは税金の納付状況でございます。菊間町だけでなしに我々が視察しました本土の各市町村では殆んどが95%以上の納税成績であります。
そこで昨年度の税負担額を調べでみますと菊間町では1世帯当り30.00弗、佐敷村が16.30ドル、2.4倍一人当り菊間町が8.5ドル 佐敷村2.97ドルで約三倍でございます。この税金を菊間町民は喜こんで納税し町政の運営に協力すると共にその繁栄を期待しています。