なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

第一尚氏王統をまつる 月代の宮の例祭挙行さる

 12月26日午後2時から、佐敷上城在「月代宮」の恒例のお祭りが神前において、参道階段に立ち並ぶ幟旗の中に、各地から多数の氏子が相集い、村内来賓ら多数参列のもとおごそかに挙行された。
 式典は△開式のことばについで、△祭主(地元氏子代表当真嗣善氏)によって神殿開扉がなされ、△神官(仲里専守氏)の修抜 △献饌、△神官の祝詞、△各階代表者の玉串奉典、△撤饌、△祭主の閉扉、△閉式のことば、引続いて境内広場に移り、祭主のあいさつについで、月代宮復旧期成会委員当山真志氏が祖先の偉業を讃えられ、当真村長のお祝いのことばが述べられた、のち祝宴に入り奉納余興に琉球民謡研究グループ(教師 玉城安定氏)の数々の花やかな民謡と、1962年カチャーシ大会沖縄一の瑞慶山嬢の見事な琉舞を観賞し大変賑わった。

祝詞
  本日月代の宮の例祭を挙行されますに当り私地元の村長と致しまして、佐敷村民を代表し、御祝詞を申し上げます。
 御承知の通り今を去る五百有余年前の昔、中山王武寧は日夜酒色にふけり、荒淫にして、政治を省みず、諸按司又勢力拡張のため互いに相争い遂に三山分立し国は麻の如く乱れ、いよいよ庶民は塗炭の苦しみに合い、疲弊困憊、其の極に達し全く戦国時代と化したのでありました。
 其の時分佐敷に住む、尚巴志庶民の苦難を救うベく大望を抱き、農民から身を起し、佐敷按司となり、先づ第一に大里按司を討ち、次に中山王武寧を誅するや先づ父断思紹を中山王にしよく父を補佐し自から兵を卒いて北山王パンアンチを滅し、続いて南山王タルマイを討ち、遂いに三山統一の大業をなされたのであります。
 尚巴志は智、勇、兼備の武将として広く諸按司に尊敬され、信望篤く次々と其の門下に下り其の配下になったとの事であります。
 又庶民のために仁政をしき、常に庶民の繁栄を計りしため、産業大いに興り民心平静にして、尚巴志を滋父の如ぐ慕い、以って国威を大いに発揚されたのであります。
 又尚巴志王は常に遠大なる希望を持ち、海外発展に意を用い、海外貿易を盛にし、日本や朝鮮、明、シャムは勿論遠くジヤパ、スマトラ、ボルネオ等まで小さい帆船で貿易をなし、南方諸島の宝物を手に入れ、琉球男子の意気を発揮し世界の国々を驚かしたとのことであります。
 又学問の必要を説き、先進国の文化を取り入れ、日本の足利幕府や、明国と文通をなし、琉球の文化が大いに発達したとのことであります。
 一方明国へ沖縄始めての留学生を送り人材の養成に努め、これを優遇し、国事に参画させたのであります。その先見の明たるや全く以って敬服に価するものであります。
 又その子孫も大いに栄え現在沖縄の政治、教育、経済、文化等の中心人物として、沖縄復興のため尽力されていることを事を見ましても、其の祖先が如何に偉大な方であったかが伺へるのであります
 願わくば御祭神の神々が永へに此の地に鎮ましまして、氏子や村民一同に神の御加護を賜わらんことを御祈り申し上げまして祝詞と致します。

1964年12月26日
佐敷村長 当真嗣善

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大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000415-0019
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第4号(1965年2月)
ページ 4
年代区分 1960年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1965/02/01
公開日