1月15日『成人の日』午前9時から、今年満20才の成年に達した若人たちが、子供の時代から、大人になって自からの力で立っていこうとする青年たちを祝いはげますため、村主催で村議会、区教育委員会、村農業協同組合、村社会福祉協議会の後援で、佐敷上城「月代宮」の神前で、厳そかに盛大な成人式がおこなわれました。
当日は50名の成人の日を迎えた男女青年と、村役所、村議会、小中学校、村農協、区教育委員会、婦人会から、の代表者が集まり前に1月10日自らの手で月代宮の境内、駐車場周辺に記念植樹をした、吉野楼、彼岸楼、八重楼、緋楼八十本とワシントンヤシなどに灌水し、そのあと成人式に入り、宮司仲里専守氏の祝詞(のりと)国歌「君が代」 「佐敷村歌」を歌い、村長挨拶のあとで、成人の日を迎えた90名の若人たちに佐敷村長当真嗣善氏から成人手帳が農協長宮城篤仁氏から成人を祝ってそれぞれ記念品が贈られた。それから嶺井議会議長、与那嶺社会教育主事の祝辞、成人を迎えた若人たち代表して、馬天区の山城豊敏君の謝辞挨拶があって、式をおわり、記念撮影ののち東陽バス一台に来賓らも共に乗り込み、北部方面、今帰仁にある北山城跡で、バレーなどに興じ観光見学の楽しい一日をすごした。
祝辞
本日成人式を迎えられました90名の皆様おめでとうございます。皆様の門出を心から祝福申しあげ、かつ皆様の社会人としてのご参加を心から歓迎申しあげます。
本日の成人式をこのゆかりの地、すなわち我が佐敷村が生んだ英雄尚巴志王のかつての居城である、この神域で行なうことのできましたことは、真に意義深いことでありまして、皆様の生涯の上にも大きな想い出になることでありましょう。
なお皆様が本日の成人式を記念いたしましてこの神域に桜ややしの木を記念木として、植えていただき心から感謝申しあげます。
立派に育てあげまして、将来この神域を桜の名所に仕立てる考えであります。
それでは本日の成人式にあたり、せいじんということは一体何を意味するかというふうに考えるわけでありますが、私はつぎのように考えるのであります。すなわち人間としての意思能力が備わり、かつ自らの行為を自らの責任において行い得る人ということになるかと思いますが、しからばこの成人に達するには、年令に見て、何才頃が適期かということになりますと、人間としての能力や社会的地位の問題からしまして、やはり皆さんの年頃、すなわち二十才が社会的にも認められているのであります。
そこで民法第三条で満20才を以って成年とするというように現定され、法的にも公認されているのであります。
皆さんは本日の成人式において、立派な社会人として、法的にもまた社会的にも公認されたのであります。かさねてお慶びを申しあげます。
何卒今後益々自重していただき、立派な杜会人として、社会福祉のために貢献していただくよう希望してやみません。
おわりにあたり皆さんの前途が幸福でありますよう心から祈念いたしましてお祝いの言葉といたします。
1965年1月15日 佐敷村長 当真嗣善
祝辞
今年成人に達せられた90名の若い皆様の社会人として一歩踏み出された門出に心からお祝い申し上げます。誠にお目出度うございます。
戦後のドサクサの中で皆様はウブ声をあげられ、きびしい食糧難と戦って育ってきましたが、も早や一人前に成長され、今日「月代宮」の神前で輝かしい式典を挙行せられることは、歴史的にも大きな意義をもつことであります。又皆様が記念植樹されました、樹木は何時かは花を咲き、実が結ぶことでありましょう。これが皆様方の心の姿であり、又は人間の姿にもたとえる事と考えます。
昔は20才ともなれば男子は徴兵検査を受け、満40才まで、兵役の義務を負わねぱなりませんでした。戦後はそのような義務をおうことなく民主社会人として、自分の力で自由に活動できるのであります。これは大きな違った点であります。
皆様は今年から公民館が与えられ心身共に独立できる社会人の地位が、認められた訳であります。社会の繁栄は若い人々の熱意と意気にかかっていると信じています。
皆様は發溂たる青年として、自からの力で責任ある行動をもって大いに励んでいただきたいのであります。そして良識ある村民として勇気と誠実をもって、社会のため大いにご活躍下さいますよう心から希望申しあげます。
おわりに皆様方のご健康と将来のご幸福をお祈り申しあげまして、私のはなむけの言葉といたします。
村議会議長 嶺井行正