役所構内に北白川宮能久親王の御寄港之碑がある。
明治28年の台湾征伐の途次、中城湾に寄港され、そのとき佐敷村の役場にも立ち寄られたと古老の言い伝えによると村役場前の広場で競馬などを御覧に入れたと言われ、親王が当時使用された椅子もあったとのことだが、椅子は明治43年11月7日佐敷尋常高等小学校が全焼した際に焼けてしまったとのことである。
碑文によると、「明治二十八年北白川宮親王督近衛師国征台湾途寄於中城湾翌日発港実是五月二十七日也頃者沖縄史蹟保存会刑石証其事以伝後世大正十二年五月五日 従五位勲五等島倉竜治謹誌」との裏面記があり表記に「能久親王御寄港の碑」とあり「伯爵東郷平八郎謹書」となっている。
親王は台湾で戦病死なされたので日本の版図で最後に足跡を印された地として沖縄史蹟保存会が以伝後世のため健立したものである。
後年妃殿下台湾神社参拝の帰途も佐敷村役場を訪れられたとも言われている。
先年1958年1月26日には孫嫁の靖国神社奉賛会長の北白川祥子さんも同碑の参拝に佐敷村役所に来所されている。
第二次大戦中は戦災にあい米軍の弾痕があり、たおれていたのを、碑が残っていたので現在は村役所敷地内の西角の方に再建立してある。