同氏は明治の末年、明治四十二、三年頃の佐敷小学校第六代目の校長で、社会教育や、生活改善の面にも非常に熱心な方で、各字の事務所などで、夜間(夜間学校)を開き、就学出来ない、村内の青少年に、読み書き、算盤を教えて、村民から「目小校長」の愛称でしたしまれ、敬愛されていた方で、佐敷から玉城に転任、老後は豊見城村字平良で余生を送って居られたが昭和十八、九年頃、去った今次大戦の末期、一般疎開が始まった頃、日本木土に引き揚げて行かれて、その後の消息はハッキリしておりません。
「村歌」の外にも「知花清一氏を讃える歌」や、「村内数え歌」など本村にちなんだ、数々の歌を作っておられます。
つぎつぎと号をおって紹介したいと思います。
なお同翁は当時の新開、大正の頃から昭和の十四、五年頃まで、『場天居士」のペンネームで度々短歌なども新聞に発表しておられた。
佐敷村歌 作詞本山万吉
一、ここなる丘は上城
中山、南山、北山を
統一したりし英雄の
出でしところはここなるぞ
二、かしこの山はすくな山
旅順の沖にかんばしく
においとどめし豪傑の
出でしところはここなるぞ
三、たてや村人いざ立てや
己れの道になす業に
力の限りつくさんは
汝がおえる責ぞかし
四、奮え村人いざ奮え
学びの道になす業に
英雄いかんでいでざらん
豪傑いかでいでざらん