佐敷ようどれは第一尚氏の尚巴志の父尚思紹夫妻以下を合祭した墓陵である。
所在地は字佐敷仲上原1636番地にあるが現在はアメリカのナイキ部隊の構内になっており、自由に出入できない場所である。1957年2月11日文化財保護委員会の開墓調査の結果は、素焼きの屋根型厨子ガメの破片があり、蓋の内側に墨書で、尚思紹王君のご夫婦二人、尚思紹王君の舅姑二人(美里子のご夫婦)尚思紹王君の御二男(美里大比屋夫婦二人)尚思紹王君御娘(佐敷大のろくもい一人)以上七人の御墓にして、始めは佐敷部落南方の崖下にありましたが、風雨の度毎に崖崩れが合って、今から200年前の1764年(乾隆29年甲午9月29日奉改替之)に現在の場所に移築したと記されている。
同墓陵は文化財保護委員会から1958年1月17日に史跡として指定されている。