なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

千二百柱を合祀 小校敷地に「慰霊碑」を建立

さきに村遺族会長新垣太吉、村傷痍軍人会支部長新里勇孝、元村在郷軍人分会長瀬底正八の三氏連署で、村長当真嗣善、議会議長嶺井行正の両氏宛つぎのような忠魂碑(仮称)の再建についての陳情があったので、63年6月27日から開会の第94回定例議会で、早速この事を取り上げ協議した結果、立派な計画だとして全員一致再建建立に協力するとの意志表示を得た。村長は63年12月19日開会の第97回定例議会に予算を計上提案、原案通り予算を司決したので、同月25日に指名競争入札に附し与那嶺正行氏が落札、目下台石は学校敷地内の忠魂碑の台石を使用して周りの囲と階段を改築、碑名を村内から募集したものの中から選び、その道の専門家の意見等を検討して碑名を慰霊碑と決定し、鹿児島産の上質の立派な石材で発注し1月23日那覇入港の沖縄丸で着荷した。2月8日に竣工検査を終え6月頃除幕式を行う予定になっているが、碑には日露戦争以来、大東亜戦争までの軍人軍属、一般戦外参加者1200余桂の英霊が祀られる。(碑名の交字は 現立法院議員伊良波長幸氏の揮毫)

忠魁碑の再建について(陳情)
終戦後十八か年の歳月も流れ、私達は一家の大黒桂を失った老父母や未亡人、遺児の方々があらゆる苦難から立上りつつ、ある今日を思うに実に感慨無量の感に打たれるものであります。
我らの肉親並に戦友は史上最大の戦争において民族の真の自由と幸福のため偉大な献身的精神と限りなき愛国心から自らの尊い生命を捧げたのであります。
そこで戦前にあった忠魂碑を再建し現世代にふさわしい名に改め、平和の守護神として祀ることは敬虔の念を高め、それにより人心のより所を定め、平和運動の推進と社会浄化の風潮を高め、村内の福祉増進に大きな源動力となるものと考え、その実現を期待するものであります。
現在村内では六か部落に慰霊塔が建立されて毎年例祭が行われております。また全琉的には奥武之山にある護国神社で毎年春秋二回の慰霊祭が行われていますが、遠路なるためか、ここで参拝する遺族は極一部分の方々で、その大半がこれに叶えないのを思いますとせめて年一回でも肉親御霊をお慰めできる慰霊塔が建立される事を念願するのであります。
慰霊碑の建立については前々から共に戦った生き残りの戦友や遺族の間で話合もあった様でありますが、最近特にその気運が高まり、本月7日前遺族会長の送別会の席上で動議採択されまして64年度において是非実現方を取計って戴くよう村当局並に議会に要請することを全参加会員818名が万場一致を以て賛同決議致しましたので何卒よろしく御願い申し上げます。
尚村当局や議会におかれましては、我々同志の遺族会、傷痍軍人会に対し苦しい財政の中から毎年多額の補助を賜り、且ついろいろな面に温い御援助を戴き一同衷心より感謝申上げている次第であります。御厚情にあまえ事情賢察の上特別なる御配慮賜りますよう御願申し上げます。
「御参考までに申し添えます」
 戦没者1,279桂(軍人軍属 545桂、一般戦協734桂)
 世帯数約1,000世帯、同家族数5,000、推定
右陳情いたします。

1963年6月10日
佐敷村遺族会長 新垣太吉
佐敷村傷痍軍人会支部長 新里勇孝
元佐敷村在郷軍人分会長 瀬底正八
佐敷村長 当真嗣善殿
佐敷村議会議長 嶺井行正

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大分類 テキスト
資料コード 008435
内容コード G000000412-0018
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第1号(1964年2月)
ページ 3
年代区分 1960年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1964/02/01
公開日