なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

文化財だより 唐船岩(トーシンブリ)

字知念と吉富の境界砕石場の上にそびえ立っているのがトーシンブリーであります。この附近の連山をテーギタといっています。
テーは松明のことであり、船がみえたときの知らせにテーをたいたのでしょう。またこの岩の下に遠見屋(トーミヤー)のあったところがあります。
昔は帆船で唐(異国のこと)と貿易をしていたのです。この船の入るとき出るとき、いつも遠くの東の海を見張り続けていたのてす。見張番の遠見番か知念番所から出されていたでしょう。この遠見番の官所が遠見番屋でなかったかとおもわれます。
またこの岩の下附近の原名はフィーマシといいます。フィはたいまつの火であり、マシは畑
のことです。これからもあの岩の上に火がかかげられたことでしょう。
なぜテーの火がかかげられたかということは、この附近に異国船の出入りする港があったことを証明しています。
近世の琉球と明との貿易は泊港と那覇港です。そのため小禄とケラマにはテータテモーがあ りますが、それ以前に東海岸にも異国船(トーのフニ)の出入があったことになります。
沖繩で最も古い史料の一つである「オモロ」の十九巻に

ちゑねん もりぐすく 知念杜城
たうのふね 唐の船
こころ よるぐす 許多寄る城
又おやくにもりぐすく 又大国杜城(大国は知念の美称)

とあります。知念のどこかの港に異国船が入ったことを謡っています。
この港がどこかわかりません。この唐船ブリはこれを知っています。

知念村文化財保護委員 新垣源勇

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大分類 テキスト
資料コード 008531
内容コード G000001343-0005
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねん 第10号(1980年12月)
ページ 5
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1980/12/20
公開日