銃剣道は戦前主として銃剣術の名称をもって一般国民に膾炙されていたものであります が、銃剣道そのものの源泉は、十七世紀の中頃、即ち日本槍術の最盛期にあたる寛文年間に、フランスで考案されたと言われ、十八世紀初期、即ち江戸時代の後期、文政の頃オランダからその知識が入って来たと言う説もある。文献によると、高島秋帆が幕府の命によって武州徳丸原 現在の東京都板橋区において銃剣の使用を展示したり、佐藤信淵の「海防余論」の中にアンフルト戦法即ち銃剣による戦法が論ぜられたり、又函館五稜郭の戦斗で官軍が銃則で白兵戦を展開したと言う史実が残っているが、それ以前の関ケ原会戦前後から銃撃と長槍を組合せた戦法が編まれていたと言う古事からすると、銃剣発祥の遠因は、欧州諸国にあるとしても日本においても銃の渡来に伴ってその兆候が芽生えていたものと推測されます。
ただ明確な資料によると、明治初期前後からの急速な泰西文の吸収や、南役における武術の価値等々からその関心が深まり、明治七年、フランスからデュクロー氏を、又同十七年にはドビラレー氏及びキヱール氏を旧戸山学校に招いて明治二十年頃まで研究を重ねたのでありますが、その結果洋式銃剣術は全くその用をなさなかったためこれらフランス人の国後から本格的に日本式銃剣術樹立の研究がなされた模様であります。
しかしながらそれより先、明治十三年五月には明治天皇が戸山学校行幸の折、銃剣術を上覧 に供した記念碑が東京都千代田区三番町の農林省分室敷地内に現存している点から考えますと、日本における銃剣道の発祥は一応この頃前後にあると言うことが出来そうです。
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大分類 | テキスト |
資料コード | 008362 |
内容コード | G000000339-0002 |
資料群 | 旧知念村広報 |
資料グループ | 広報ちねん 第37号(1985年8月) |
ページ | 3 |
年代区分 | 1980年代 |
キーワード | 広報 |
場所 | 知念 |
発行年月日 | 1985/08/05 |
公開日 | ー |