ことしも青春の象徴、夏の甲子園(第六二回全国高校野球選手権)大会がやってきました。ことしの県代表校は十二年ぶり三度目の興南高校に決まりましたが、その興南ナインに本村出身で興南高校二年玉寄尚君がおります。本村出身では初めてであり、知念中学校野球部創立以来、初めての甲子園児誕生であります。
「優勝の瞬間、やった、次は甲子園だ、という気持がこみ上げてきました。」日焼けした顔で熱ぽく語るその表情は、厳しい練習を耐えぬき、甲子園への栄冠を勝ち得た喜びがにじみでてきます。
野球を始めたのは、小学四年生の時、少年野球のチ—ムに入ったのがきっかけです。野球か好きで、県立の高校へは行かず興南高校へ。「甲子園へ行くために野球をやってきたようなものです」と、甲子圍への夢を語ります。“甲子園へと書いた枕で寝たほど甲子園への夢はつのりました。その夢が現実のものとなった現在「野球をやってほんとによかった」と、感激を語ります。
毎日の練習は厳しく苦しい。朝の練習かあるときは午前六時三〇分には家を出て、帰りは晚の九時以後になることが多い毎日です。それでも、野球を続けて行きたいと思うのは、試合に勝った時の勝利の喜びがあるからです。それが、日頃の練習にも耐えさせてくれます。
甲子園では、「一勝したい、一戦一戦を大事にして行きたい」と語っていました。
知念中学校野球部監督の島袋春雄先生の話「中学時代は、二年生の時から、左、本格派の投手として活躍、投打ともによく野球の素質がありました。中学校の島尻大会でも準優勝しました。性格も、すなおでまじめでした。また、成績もよく野球好きな子でしたし興南にはスカウ卜されて行きました。本校からも甲子園へ行ける生徒が出たことは、後輩のよい刺激になり、非常によろこばしいことです。」
ダウンロード | https://docs.google.com/uc?export=download&id=1-9eSg6jD3WaP4R2cB4qfilVYZITk4syW |
---|---|
大分類 | テキスト |
資料コード | 008359 |
内容コード | G000000336-0005 |
資料群 | 旧知念村広報 |
資料グループ | 広報ちねん 第8号(1980年8月) |
ページ | 4 |
年代区分 | 1980年代 |
キーワード | 広報 |
場所 | 知念 |
発行年月日 | 1980/08/10 |
公開日 | ー |